なぜか今朝は、にゃんたのことばかり思い出す。
大阪に住んでた時に、里子としてもらってきた。
少し長めの毛で、シャム柄。
里親募集してたのが喫茶店で、入ると1つのテーブルが、まだ離乳してない赤ちゃん猫でいっぱいだった。
その中からにゃんたを選んだのは、
あたしの片手によちよちと入ってきて、まだ目もよく見えないくらいのにゃんたが、
あたしの顔をじーっと見つめてきたから。
大阪にいた頃も、広島に1年実家に帰った時も、山口に来た時も、ずっとずっと一緒だった。
成猫になってから、時々クスンクスンて言うようになった。
でもたまにだし、30秒ほどだし、あんまり気にしてなかった。
大阪で、にゃんたを飼い初めて1年くらい経った時、妹が外の駐輪場から子猫を拾ってきた。
ちゅっぴーと名付けた。
にゃんたと仲良しで、2匹でくっついて寝てた。
結婚して山口に来て、何年か経った後、クスンクスンがよく出るようになった。
動物病院に連れていったら、
4.7kgだった体重が、2.8kgになってた。
もともと毛足が長めだったし、それまであたし頭しか撫でてやってなかったんだ。
それから食べれなくなって、お医者さんが「とにかく食べさせて!!」て言ったので、
あらゆるキャットフードの缶詰めを試してみた。
でもどれも食べれなかった。
お刺身やお肉も試したけど、全然食べなくて、どんどん衰弱していった。
もう目もうつろで、口呼吸しかできないようになった。
それでも、トイレには自分で行ってた。
あまりにも苦しそうで、安楽死させることに決めた。
そう思ったのが、11月末。
行こうと、キャリーバッグを用意して、部屋に入った。
ヨロヨロで、それでもトイレに行こうとしてて、ガクッとコケた。
慌てて抱き上げて、いつも寝床にしてたベビーバスケットに寝かせた。
5分後、息が止まった。
15歳。
せめて、膝に寝かせてあげればよかった。
あたしが、もっと早く気づいていれば。
そしたら治ったかもしれないのに。
あたしが、もっと早く気づいていれば。
にゃんたが死んだのは、あたしのせいだって、すごく自分を責めた。
死んだ時は、呆然として、葬儀屋さんに火葬をお願いした。
小さな小さな骨壺になって帰ってきて、それを抱いた時に、号泣した。
一緒に布団に入れて、骨壺を抱きしめて泣いた。
その時はまだちゅっぴーがいて、庭で拾った今の猫ぴーちがいた。
ちゅっぴーは、19歳で死んだ。ある朝起きたら、眠ってるみたいな顔と姿勢のまま、固くなってた。
そして今、ぴーちがいる。今10歳。
後10年は「元気で」長生きして欲しい。
毎日、頭だけじゃなく、全身を撫でたり、ブラッシングで血行をよくしたり、お腹をマッサージしてる。
また気づくのが遅くならないように。
にゃんた、にゃんた、にゃんた。
あたしの目を見つめてくれた。にゃんたがあたしを選んでくれた。
感謝と自責の念……
元気で長生きしたとしても、今とっくに死んでる。
ちゅっぴーと遊んでるかな。一緒に寝てるかな。
ほんとに、10年以上も前のことなのに、なぜか今朝から思い出される。
ありがとうにゃんた。
ありがとうちゅっぴー。
ありがとうぴーち。
にゃんたの分までぴーちを愛するんだ。
涙が止まらない。
お読みいただきありがとうございます。
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