仏教で「苦しみ」というのは、「思い通りにならないこと」をいいます。確かに、苦しいとき、冷静に自分の苦しさの根源を見つめてみると、思い通りにならないで苦しんでいる自分に気がつきます。人間関係や仕事上の悩みなどもそうです。
「四苦」とは、もっと根源的な苦しみで「生老病死」の四つをいいます。どんな時代に生きていても、誰の身にも起こり得る、けっして逃れることの出来ない現実です。命をいただいたものの宿命と言えるでしょう。一応、私たちは平均寿命あたりまでは生きる権利を得ているような気でおります。しかし、実際のところは誰も分かりません。それがいつどのように起こるのか。
お釈迦さまは、この生老病死をどのようにお感じになったのでしょうか。有名な「四門出遊」の物語を紹介しましょう。幼い王子の頃から、物思いにふける陰気な性格だったと言われます。父の王様は、何とかして陽気にしなければならないと城外へ遊びに出すことにしました。
最初の外出は東の門からでした。途中、歯が抜け、髪が抜け、やせ衰え、しわだらけの老人を見ます。王子は御者に聞きました。「この人は何者か。どうしてこのような姿なのか」 御者は「これは老人です」と答えました。さらに王子は「私もこのようになるのか」と聞くと、「生あるものは貴いものも、賎しいものも、この苦しみを免れることは出来ません」と御者は答えました。これを聞き、すっかり気が萎えた王子は城に戻ってしまいました。
二度目の外出は南の門からです。途中、病人が路傍で転げて苦しむ姿を見ます。「人間は誰もが必ず病気になります」と聞き、すっかり気が萎えて、再び外出を取りやめてします。
三度目の外出は西の門からです。途中、死者を嘆き悲しむ人々と出会います。王子は御者に聞きました。「死者とは何者か」「わたしも死ななければならないのか」 御者は「そのとおりです。人はいずれは死ぬべきものであり、あなたもまた避けることはできないのです」と答えました。王子は深く心を打ちひしがれて馬車を引き返しました。
最後の外出は北の門からです。途中、黄色の袈裟をつけ、乞食のための鉢を手にもち、じっと前方を見て歩く人と出会いました。「この人は何者か」と王子が聞くと、御者は、出家した修行僧であると王子に教えました。王子はすぐに馬車を下りて「出家にはどのような利益があるのか」と尋ねました。修行者は「正しい教えによって心の平安を求め、慈悲をもって衆生を救うのが出家の利益です」と答えました。王子は「人間世界にこれに勝るものはないであろう」とたいへん喜び、たちまち生気を取り戻されたといいます。
自分のこととして考えて見るとよいと思います。私たちは、自分の「生老病死」を意識しているでしょうか。お釈迦さまの時代とは異なり、平均寿命は長く、多少の問題はあるものの、医療や福祉の社会保障は格段に進んでいます。命をいただいて生かされている。有り難いことです。ないことを嘆かず、あることに感謝したい。健康であれば、働ける体があれば、いたずらなくお役に立てるよう勤めたい。それを喜びとしたいものです。