エリザベートのこと | lucky ダイアリー

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時はハプスブルク帝国末期、19世紀後半。






オーストリアの皇后エリザベートは、
自分らしく生きることを、決して、諦めなかった。





実際に、悲劇的なエピソードしかなかったとある。






自由に飛び立とうとする性質のエリザベートは
当時の貴族社会に馴染めず、


彼女の深い絶望と切望は
理解されることはなかった。







本来の、常識やしきたりに捉われない自由を求める本質を押し殺して生涯を過ごす。
この様な状況下において、自身のことで精一杯だったエリザベートは、
人生の半ばに、ルドルフ(最愛の息子)を亡くしてしまう。





ルドルフはフランツの母である皇太后ゾフィーにより厳しい教育の下育てられた。
体罰は当たり前だった。
エリザベートはこのしきたりに反感を持ち、夫のフランツに訴え続けていた。






時が経ち、
ルドルフは、政権に対する意見の食い違いによって父と対立し、母(エリザベート)に助けを求めるが、
エリザベートの心は闇の最中にあり息子の声は届かなかった。

それぞれの心はすれ違い、

孤独で、絶望的なルドルフの魂は枯れ果て、
闇に吸い込まれるかの様に死す。






ルドルフはただ、ママやパパに分かってもらいたかった。
ママやパパに味方になってもらいたかった。






母親似のルドルフであるから感受性も強く
それ故に繊細で傷つき易く、辛く、悲しみも深かっただろう。





エリザベートは息子を失い、悲嘆に暮れる月日を過ごす。
生きた心地がしなかっただろう。





エリザベートの目に映る世界は色を失い、
生きている意味さえも、期待も、希望さえも
枯渇してしまったのではないかと察する。






そしてエリザベートは施設や病院などを巡る
旅にでる。
自身の内側に握り締めていた目的を、希望を見出すためのものだったのだろうか。






満たされた状態での奉仕は
溢れ出るものからのエナジーとなるけれど、
それとは状況は相反しているから、
懺悔を体現しているものだったのだろうか。





源からの自身への怒りのものだったのだろうか。
何かしらから得る怒りからくる体現だったのだろうか。
そこからの表現?
怒りから正しきへの変換?
対極のまっさらな使命感?
窮屈な皇帝から離れて本当の意味の自己実現?
強い喪失感から湧き出るもの?





夫婦仲は、相変わらず冷え切ったものだった。
エリザベートの心は、哀しくも皇帝フランツにはなく、黄泉若しくは対極の光に在った。





惹かれるのは死なのか、
はたして愛なのか。





真っ直ぐで頑なな信念を持っているエリザベートだったから、
閉ざした心は閉ざされたままだった。





秘めた芯の強さをもった、自分らしく生ききったエリザベートの人生は孤独を形成したが、
でもそれはエリザベートらしい、魂自体は輝いた最高の在り方だったのかもしれない。





でも、





ずっと、愛の中で繰り広げられていた。
黄泉の愛に守られていた。