取り込まれることの気楽さと恐ろしさ、 いや、高い見識とやらに思考を預けて安心していたいという意味での気楽さ、気安さの中に身を置きすぎることによって、 自ら自身が考えたり判断したりする力は明らかに退化するだろうと思える。 これが恐ろしいといっているのだ。 さらに言うなら、非常に簡単な悟りでさえ、難しい論理的言語を弄して語られると、それだけで反論出来なく、あるいは疑問さえ持てなくなる、、 まさに悪魔の取り込み方であると思える。