人間には、様々な個性があって、癖がある。自分がやってしまった。おかしなことを他人に面白おかしく話せるようになれば、もう他人に笑われることなど怖くない。他人に笑われたら、自分も一緒に笑ってしまえばいい。笑はあなたを余裕なる人間にしてくれるはずだ。


 際限のない悩み話など真剣に聞いていたら誰だって嫌になる。半分ぐらいは聞き流して一生懸命に聞いて振り聞いているふりをすれば良いのではないだろうか。同じ話の繰り返しなのだから聞き流していても話がわからなくなる事はないだろう。一緒に落ち込んでしまうこともない。他人の悩みを聞いているとついついもっともらしいアドバイスをしたくなるものだが、結局のところ本人が自分でなんとかするしかないのだから、アドバイスなどほどほどで良いのである。相手はアドバイスよりも自分の話を聞いてもらうことを望んでいるのだ。


人に対しては大変厳しく、批判的な人がいる。

人に親切にする人は、人にも親切にされる。

人を許す人は、人に許される。

人を好きな人は人にも好かれる。

そういう風に世の中ができている。


そして自分を許す人は、他人にも許される。

自分を好きな人が他人にも好かれる。

自分を責めない人は、他人にも責められない。

そういうものなのである。


人間関係は落ち込みの原因を作るが、本当の意味であなたの落ち込みを救ってくれるのはやはり人間関係だ。あなたの心を本当に救ってくれるのは、あなたの周囲にいる家族や友人だ。

だから普段から人間関係を広げておくことをお勧めするのである。

良い友人がいれば、あなたが落ち込んだ時、助けてくれる人間がそれだけいるということだ。数は多くなくても本当に腹を割って話せる友人がいればそれも心強い。


しかし友人は黙って座っていてできるものではない。パーティーに出かけ、友人を誘い合って人付き合いをし、徐々に信頼関係を深めていくものである。


 自分が落ち込んでいる原因の人間関係を知っている友人と一緒にいると、結局そのことを話したくなり、気分が変わらない。

パーティーであまりよく知らない人の間にいるのが好きと言う人もいる。身の回りの人間関係で落ち込んだ時は、その人間関係から離れたいから。


あなたは今まで充分よくやってきた。良い子であったのがいけないわけではない。あなたが良い子なのを責めている人は誰もいない。悪い子になってもいいんですよということなのだ。

良い子であるのが悪いわけではない。あなたは嫌な子の自分をいつも責めて良い子になり続けようとしてきた。その上良い子の自分まで責め始めたら、一体どうやって生きていけばいいのだ。