たまには先祖がえり
私は
何にも手を合わせない
十字も切らない
朝日も拝まない
日没から一日も始まらない
ありとあらゆる宗教的な行動は取らない
私の中で何があろうとそれを何かの宗教に繋げて考える事は無い
絵など描くと
宗教的テーマのある人は
実に統一感のある
あるいはそれに逆らうような
そういう切っ掛けが幾らでもあっていいなと思う事もあるけれど
出来たものは好きではないし
そう長く観ていたい訳でもない
芸術は流派を造る事などと
おかしな事を言った時期もあったし
事実それで納まるだけの感性なら
それは一番長く飯の種にはなるだろうと思う
ソモソモ絵なんぞを描く者が
命惜しんでどうするのと言うところから観れば
生きる手段にこれを持ってくれば本末転倒だ
個性や流儀で固まって安心するのは
それを手元に置く人
もしくは安定してそれを販売したい人
それだけだ
とずっと思っている
銀座辺りの貸し画廊でいつか個展をしたいと言った
痛い画風の若い女の子がいて
私はそういう絵は好きなので
勿体無いから
画廊借りるお金があったら
絵の具買いなさいよ
一年分の絵の具代捨てて銀座じゃ仕方ない
そうなんですか?
絶対にそうです
描く人は描くだけでいいの
見せたいかどうかは別の人が勝手に世話してくれる
いいの描くんだし
商売じゃないでしょ
そうですね
そうだよ
あなたの目標まであと8年もあるでしょ
銀座は忘れて描いて置けばそれで良いよ
未だにあんな子にしてみれば銀座画廊信仰があったなんて
かわいそうな気すらした
そうは言っても
古い宗教画の謎解きは結構面白い
その頃と今は絵筆の質が変わったのかも知れない
ダリは器用だったけれど
終に宗教に落ちて
抽象に逃げたと言われた
抽象が逃げ道だとは思わないし
ブルトンには鼻に付いたのでしょう