物証
警察が何を言おうとも
たとえそういう行為をしていようとも
最終的には事実を物が裏付けをして
更に
自分がその行為を認め
その上で裁判が開かれ
その場でも容疑を認め
物がその証言を裏付け
結果としての判決が有罪でなければ自分は犯罪者では無い
こういう考えがある
こう言う考えがとわざわざ言うのは
こういう考え方が台頭している中での裁判の話題に対する一般市民の反応が気になるからだ
今や検察が悪いものになっている
検察の行為は在るべき姿では無いとは思うが
確かに疑わしきは罰せずでいいとは思うが
警察も怖いのである
検察も怖いのである
事件の遭遇したとき最も優先される人権は
容疑者の物であるし
刑が確定し裁きを受けているときにも
受刑者の人権が最優先され
健康の管理もまた同じ
最初に挙げたような感覚で生活するものは少なくないと思う中
今の景色を眺めると
悪を裁くのは警察の仕事検察の仕事裁判所の仕事
それらが飛びぬけた行為に出れば
自分自身いつどういう切っ掛けで容疑者になり
思いもよらぬ展開で犯罪者に仕立て上げられるかもしれない
そう考えるのだろう
それでいいのか?
つまりそう言う事がまず真っ先に気になると言う事は自らの中に犯罪欲求があるのではと疑う事が出来るのではないか
前提に何をおくか
警察は国家権力は無数の国民を犯罪者として処分したがっているのか?
若しくは 法の枠から外れた行為を裁こうとしているのか
警察国家にアレルギーと言うのも解らないでもない
そんな恐怖政治はどういう体制の中に作られるのか
そこまで良く考えれば何か別の考えも出て来ようと言うものだ
冤罪と言うのがある
全ての冤罪事件が同一の状況の中で起きている筈は無く
個々の事例の経過を克明に知る術は無く
十羽一絡げで冤罪は冤罪はと騒ぐ
もっと細かく興味を持ってこう言う事を考えてみたい
物証
それだけか?
田舎の生活で物証はあまり意味がない
噂 これで十分裁きが下るだろう
これを排除して都会的に生きると人と人の隙間が広がる
いま静かに生活したいのなら
田舎では無く都会だろう
青山辺りならかなり静かに生活できると思う
警察や検察の捜査の方法を具に知る術の無いところで
なぜか感想が意見になって認識になりつつある市民社会はどうなのだ
誰の話ではない
誰の話ではないが小沢一郎の無罪
どういう無罪かと言う事くらいここに考えてもよかろう
都知事は限りなく黒に近いグレーと表現した
たまたまあの人は同じ畑にいるのでそう表現しただけの事だろう
そういう人がいるので自分もそう思うと言うのはあまりにも安易だ
判断は自分がすればいいが
聞いた事で内容が詰まっていればそれもあまりにお粗末だ
集落には不文律の方がある
慣習がある
実は日本の社会は法よりも慣習の支配する社会な筈だ
慣習法が成文化された方に優先するとは思わないが
慣習はその社会での生活信条を規定する
最初に戻ると
法に行為を立証されない限り白とは書いてはいない
網の目を抜ければ大丈夫とも書いてはいない
これらはその社会の中に漂うムードだ
私はこのムードが危険に思えてならない
警察は事件が起きるまで行動しない
行き過ぎだと容疑者が言いだす事を恐れている
確証の裏付けになるもの極度に求める
つまり
物を揃えずに救済を求めても救済要求が実かどうかの判断が出来ない
物証の無い事件はあるが
それでは今の法の下で一切仕事ができない
ある意味犯罪者にとっていい法社会ではある
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ある届け出と警察の対応に立ち会って