四角い泡
ふと思って日本へ戻って以来
世の中の事が耳について気を取られて
ついぞ考えなくなったような気がしてならないのです
このブログをはじめてみたのもその一つだけれど
これを始める以前の10年間は、勤めを止め
稼ぐ事を止め
満腹を避けて、外出を最小限にとどめ
ヒタスラ思う事に没頭していました
する事と言えば
下手な文字を連ねる事と
見えない感情を描く事と
それがたまったところで、個展を開いたりしていたのです
無邪気に書いた絵と言うのは
受け入れやすく感じるようで
年一回の個展で
あとの一年を静かに生きていられそうだったけれど
外界から興味が無くなり
人の内面、暗黒の世界に入って行くとそうもいかない
絵は
不可解になり
画面は大きくなり
ドンドンと自己満足の為の行為になり
描く事はあくまでも自分の精神衛生上必要な行為になる
本来の絵と言うのはケシテ人の為に描く物ではないから
その意味で間違ったとは思わないけれど
絵には
幾つかの力があって
明らかにそれが何を描いているのか判った様に見える
ものと
何がと言う事は解りはしないけれど感じる絵と
何かを伝えるための記号のような明解な物と
そういう物がある様に思えるのです
それで
今
世の中と言うものと近くで接していると
忙しさのあまりに
反応する事にばかり時間を費やして
考えたり思ったりする時間が無いのです
根が不器用なのでしょう
たった今
こう言った事を書いていること事態
過去にはあり得ない事だった訳で
まるで
時期外れの体質改善の様で
しっくり来ないのですね
人と言うものから
名前、立場、肩書き、年齢、人種、性別、
そういったものを総て取り去ったら
動物としての人間が残って
本能が
あからさまに見えて来て
その状態を
見たかったのですが
なかなかですね
変に思おうかも知れませんが
今の雑事に追われた世界よりも
平和かも知れない
子供らしい子供は平和に見えます