百鬼園先生曰く  | angoの世の中フラリフラリと

百鬼園先生曰く 

百鬼園先生曰く


貧乏とは何ぞやと小生は思索する。

貧乏とは、お金の足りない状態である。

単にそれ丈に過ぎない。

何を人々は珍しがるのだろう。

世間の人を大別して二種とする。



第一種はお金の足りない人々である。

第二種はお金の有り余っている人々である。

その外に何者も存在しない。

第三種、過不足なき人々なんか云うものは、

想像上にも存在し得ないのである。



自分でそんな事を云いたがる連中は、

総て第一種に編入しておけばいいので、

又実際に彼等は第一種の末流に過ぎないのである。

さて、人間を二種に分つ。

第一種と第二種と世間にどちらが多いかは、考えて見るまでもない。

第一種が人間の大部分であって、

第二種は、その、ほんの一少部分に過ぎない。

仮に第一種と第二種を一緒に擦りつぶして平均して見たって、

所謂第三種が出来るわけのものではなくて、

矢っ張りみんな第一種に平均せられるにきまっている。



どうせ、そうなのである。

又それで沢山なのである。



お金が余れば、お金の値打ちがなくなり、

足りなければ、有難くなり、

もっと足りなければ借金するし、

借金も出来なければ、性分によっては泥棒になる。



泥棒が成功すれば、第二種に編入せられ、



お金が余りすぎて、

値打ちがなくなると、沢山費わなければ納得いかないから、

費い過ぎて足りなくなって、第一種に返る。



あっても無くっても、おんなじ事であり、

なければ無くてすみ、

又無い方が普通の状態であるから、従って穏やかである。



多数をたのむ貧乏が、格別横暴にもならないのは、

貧乏という状態の本質が平和な物だからなのである。

ところで、

貧乏のどこが珍しいのだろう。

小生、貧乏と云われても、何の感興も無く、

貧に処して天をうらみず。


そうだったのかぁ