代謝不全 | angoの世の中フラリフラリと

代謝不全

代謝不全

 

私は、トテモ細いので、関係有るのか無いのか判らないが、太っていて幾つかの不都合が有ると、メタボリックシンドロームと言うらしい。

太っていなくても痩せぎすでも、そのことで不都合があれば、 代謝不全ではないかなと自分では思っている。

違うのかな?

 

いつの間にか太っている事自体がメタボだと流行語の様に使われている様な気もするけれど、不調を伴った太り方と、そうではない太り方とを区別しないといけない。

 

不調が有れば本人が感知するから自分で如何にかするものだ。

辛いのは本人だ。

太っている事で調子のいい人も居ると思う。 

ならば、他が気にする事もあるまい。

昨今の流行語と言うのは、いい意味で使われる事があまりにも無い。

 

健康な太り方が無いのだとしたら、角力は、病人のぶつかり合いで気の毒だ。

ちゃんと治した方がいいかも知れない。

 

今や職場でも、腹の脂肪に喰い込まない程度にメジャーを当てて、いくつ以上だと、その事だけで、「あなたはメタボだぞ。」   

そうなるらしい

そうなると何故か本人も雇い主も只では済まないらしい。 

 

そんな事を急に言われて不慣れな事をやり出したら、もっと何か別の病気に成りそうだ。

企業が従業員の健康管理に権力を持ち始めたら、体質によっては仕事なんかよりもダイエットが先ず大事だ。

 

「最近ダブルの背広なんて滅多に見なくなったよ。」  

なるほど、そう言われればそうかも知れない。

と思ったけど、どこかのデザイナーがカッコいいのをショーに出せば、また流行るカナとも思う。

 

流行で決めると、何故だかもてるのだ。

 

その暁には、メタボの天国だ。

ボテッと出ていない、スカスカのダブルの背広なんて、カッコ良くない。

ボタンが弾けそうなシングルがカッコ悪いのと同じだ。

 

太っていない角力も土俵が広々としてしまって良くないだろう。

線の細いシェフのレストランが美味い料理を出している様にも見えづらいだろうとも思う。

寺の坊主も職人の親方も校長先生も会社の社長も何なら政治家でも、平均体重なんかではいけない。 と私は思っている。

かつては、太っている人を貫禄があると言ったものだ。

 

みんな痩せちゃって、リンパ質社会になったら今よりズット生きづらい様な気がする。 キットぎすぎすすると思うのだ。

和服できめようと思ってみて袴なんか穿いたら、食い詰めた侍にも見えない位惨めな景色に成りそうだ。

 

きっと私はそうなるのだ。

本当に痩せ過ぎは、代謝不全とは云わないのだろうかな。

 

しかし、私は、このメタボと言う言葉も、肥満を気にする風潮も、スグニ消え去って行く単なる流行に過ぎないと高を括っているのであった。