バンコック1993-2007 その2 | angoの世の中フラリフラリと

バンコック1993-2007 その2

 

タマゴ


 

何故そう云う事になったのかは、知らないけれど。タマゴ一個の値段というのは、

台所会計の基準になっているらしいことを、日本で聞いたことがある。


その一個の値段というのは、余り変動せず、十円玉が、いつまでも十円なのと

おなじくらい、家計の景気基準になるらしい、

だから、タマゴ一個の値段が変わり始めると、なぜか、ほかの物の値段は、

既に変わっていて、月給もこの頃には、それに負けないほどに上がり、つまり、

人件費が上がり、世の中に流通するお金の総量が増すという事らしい。

タマゴが、景気を創りだす秘密では、無いだろうから、

目安になるという事だろうと思う。


バンコックで、はじめて卵を買ったとき、一個が一バーツだった。

殻が厚くて、当たり前に地鶏のいいタマゴだ、それが、卸値が下がって農家が文句を言ったことがあった。

その後、一個が一バーツ五十サタン位に落ち着いていた物が妙に綺麗につるつる

したパック入りのタマゴが売られる様になってからそうではない今までの地鶏タマゴもつられて値が上がり、二バーツになり、二バーツ五十になりして、こんどは、

石油価格の高騰につれて運送費が上がり、いまはタマゴ一個三バーツで街中のら売りがされている。

これは、遠くから運んできて、市場で卸して、近所の小売値なので、田舎で鶏にタマゴを生ませているところでは半分くらいだろうと思う。

今では値が三倍になったタマゴだけれど、こうなるまで十二三年かかっているから

それが遅いのか早いと判断すべきなのかそれは判らない。


 

いつも夕方にはニュースを見ることにしているのでタイでどんな事がおきたりしているのかが、少しはわかる。

時々気になるのは、ニュースの内容とキャスターの表情とが同調していないことが

ある。

「どこどこで、悲惨な交通事故がありました」 

「麻薬の取引に絡んで三人撃ち殺されました」の後に、ニコッとする。


このところの大雨で、どこどこでは大変な洪水です。

今晩も大雨の予想が出ています。

「それでは天気予報です。」

その時、BGMが、「雨にぬれても」 だったりする。


最近多いのは、自動車、バイク、の窃盗団、これは、ラオスやカンボジアに、

それらを密輸してもうけるらしく、後を絶たない。

犯人のほとんどが、十代で、いい小遣いを貰って、影には、マフィアが絡む。

 

あっという間に2サイクルエンジンが無くなり4サイクルエンジンのバイクに

変わってしまった。

これは、日系の工場でそれを作り出すと、時期を同じにして、随分と長い月賦で

誰でもすぐに買い換えることが出来る様になったためで、どこにでも、

新車のバイクがある、それに目を付けた新しい犯罪で、

警察が、てんやわんやで犯人を捕まえている。 

ニュースキャスターも苦々しい顔をして毎日それを伝えている。



その流れで、ある田舎で、また泥棒を捕まえた。
とつづいた。


畑のあぜ道に三人の犯人が、顔を伏せて、しょぼんとして、しゃがんでいる。

この十代の三人は、近くの農家からタマゴ1200個を盗んだために捕まったのだ。   女の子も一人いた。   

長閑でもあり、気の毒でもあった。


 

 

再び近所のこと


 

 

住処の建物の一階に、コンビに風の店がある。

そこへは這入らず、通りへ出て、右手に五十メートルほどいくとコンビニがある。

セブンイレブンで、バス停の真ん前にある。

以前そこは、PCゲームばっかりのゲーム屋であったが、ある夕方、

同じ番号のバスが、より早くそこにいる客を自分のバスに乗せようと、

猛スピードで争った結果、二台とも縺れて、そこに突っ込んで、店は、大破した。

と同時に電話回線の大きなボックスが歩道に在ったが、これも潰したので、

近所の電話が何日か無くなった。


そっちへは行かず通りを左手にいくとすぐ左にはかつてファミリーマートがあった。

セブンイレブンとは、少し品揃いが違っていて、まあ良かった。

そこの三軒となりに、セブンイレブンが在って、これは、今も在る、

すぐ先の横断歩道を渡ると、余り知らない名の、でも、ちゃんとしたコンビニがある。

以前ファミリーマートだった所は今はもう随分長い事空き家だが硝子張りのファサードには間も無くセブンイレブンになります。

と書いた張り紙がある。


この様にコンビニエンスな町なのである。 

 

何年か前には、建物を出るなりイサン料理の屋台があって、真夜中でもそこにいさえすれば、いつまでも店をたたまないから、朝まで居たりしてやっぱり重宝していた。

これが、何を思ったのか、少しはなれた所に店を構えたが、
そんなのは、もう便利でも何でも無く、一年ももたずに店を潰した。


 

表に出たなり店を構えていた頃のイサン料理の屋台の脇に、ある日、

ビール1本と線香が、立っていた事があって、「なにこれ」と聞いたところが、

「昨日、ここで乞食が死んだから」と答えた。「車がひいたの」と聞くと、「雨で死んだ」と答えた。

「あったかい国でもそんな事あるか」 と思いながら、ビールと料理を頼んだ。


近所の乞食は大概おとなしい気違いで今も幾人かいるがその後にも運河の脇に寝起きしていたのが一人ずっと起きなかったことがある。

 

すぐ近くの、コピー用の紙を卸している老夫婦が同時にコピー屋もやっているので、便利に使わせて貰っているが、最近その店の間口を広げて、業務拡大を試みた。 


内装が出来てシャッターが綺麗に塗られて店先のたたきには新しいタイルをはって、雨避けの軒をかけた。

「店、大きくするんだね」というと、

「そうだ」と小母さんが、もう寝ちゃったような親父さんの横で、答えた。


 

そこの新しい軒先に新顔の乞食が、これは未だ若く、女の人で三十路にはなっていないとも思えるが分裂症者の外見上の特徴の1つは実際よりも随分若く見えるというのがあるのでハッキリしないがいずれにしても、そこに住んだ。

だからコピー屋の間口は、まだ昔のままでやっている。


この人は、大概寝ているが、どこかで手に入れた小さな漫画の本を持っていて、広げて読まずページとページの間を捲りたくて仕方が無いらしい。

非常に注意深く、本のページの角を食い入る様ににらみ親指を湿してゆっくりと剥がそうとするが、いつも上手くいったためしがない。


コピー屋さんの前にだけいつも居るのではなく、昔ゲーム屋だった今のセブンイレブンの前で、バスを見ながらそうしている事もある。


 

 

イサン屋台


 

ブリラムから出て来て、ヤワラのカフェで稼ぎ、堅い商売に変えようと思ったらしいが服が派手であった。


 

料理をすれば、そのままのイサンなので人気が出て一年半以上屋台で通した。

私が降りていく時間と坐る場所が決まっていて食べる物ものむ物もみんな決まっていて、なんの面倒も無くて便利だった。

そこを始めた頃には居なかった10歳位の子供が手伝い始めてイナカッペであったが気が付く子だった。

この女の子、普通には歩かず、いつもスキップで用事をこなすのが特徴である。


 

子供達がどうしてそうなのか知らないが、何かが急に流行ることがある。

何処の子でも同じ事かも知れないが遠くチェンマイで始まったサムライというのは、チョイト怖かった。


日本のサムライはバサバサ人を斬っていたのだと思い込みそれを其の儘やる。

タイのまッすぐな、変な刀を持った奴がバイクの後にのって、だれ彼という事ではなくなんと無く切り付ける遊びで、斬りっぱなしでバイクは逃げてしまうから、どうしても

このサムライが捕まらない。

       

 

いつでも脂肪の厚いおじさんばかりが切られていればかなりずばっといっても

死にはせず、縫い付けて如何にかしていたものが、そんな事では済まず死ぬ人が出て来た頃には首都バンコックにも伝染していた。


 

バイクのグループを作ってそれぞれ用意した刀を持って、アッチヘ行ったりコッチヘ来たりしているのを見ながら屋台で「馬鹿どもメ」などと言いながらビールを飲んだりしていたが

たまたま、二つのグループがすれ違うとこれは見事に刀を振り回すがどっかが上手なのか下手なのか人には切り掛っていないのが不満といえば不満で「日本の暴走族は怖かったな」などと思いだして居る内に、侍に鉄砲が伝わってピストルが出て来た。



古いタイの友人と屋台に座り、「サムライ来た来た」などと冷やかしていたが

時々聞きなれない音が混ざるので、

「なんだかね、あれ」 と聞くと。

「ピストルの音だね、親父の持ってきたかな、あたりゃしない」

見たいな話だった。


暫らくはこんな事も続いたが、鉄砲伝来以後、エスカレートしなかったし、すぐに去り行くのが流行であって、サムライは、何時しか消えてしまった。


 

スキップのナンシーを呼んで、

「今日は、少しいつものとは違う物を頼もうぞよ」と思っていると、遠くの方が何と無く忙しいそれがジワジワと近付いて来るので

「おい、ナンシーそこよけなって」

って云っているのに、

ふざけてると思ってるナンシーは

「なんで」

とかいって、くねくねしている。

  

 

その脇を上半身血みどろで、


デカイ包丁を持ったデブが過ぎた。