内垣新平のブログ

内垣新平のブログ

気まぐれに思いついた事、感じた事など書いてます

 もちろんこれはサザンオールスターズのエリーではない。つい先日はじまった「マッサン」のエリーのことである。

 

 昼には「マッサン」「ばけばけ」と続けて見ることが多い。「ばけばけ」はたいてい朝も見るけれど、昼もついでにまた見てしまう。

 

 「マッサン」でエリーを演じたシャーロット・ケイト・フォックスが、そのまま「ばけばけ」にも登場している。

 

 なんだかちょっと不思議な気分になる。

彼女は、それぞれのドラマで別の人物を演じているのだから、性格も異なるのが当たり前。それはわかっている。けれども同じ俳優なのでつながりがありそうにも思えて・・・そして私の妄想がはじまる。

 

 

 

 スコットランドでマッサン(玉山鉄二)と結婚し、いっしょに日本に戻ってきたエリーだったが、広島の造り酒屋の母親(泉ピン子)は嫁とは認めてくれない。

 持ち前の明るさで頑張るエリーだったが、母親や姉などの嫌がらせと慣れない日本暮しに疲れ果てて、ついにマッサンと別れスコットランドへ帰国する。

 

 けれど喧嘩同然に飛び出した故郷は、けっして彼女を温かくは迎えてくれない。エリーは意を決してアメリカへ旅立つ。

 彼女は心機一転、名もイライザと改め、職を転々としたのち新聞記者となって頭角を現わす。

 そこに至るまでのさまざまな苦労は、彼女自身の生き方はもちろん性格さえも根本的に変えたようである。

 

 

 ・・・と、このあたりまで妄想を進めていて、ふと思った。

 

 ちょっと待てよ。「マッサン」よりも「ばけばけ」のほうが時代が古いのではないか。そうだよな。「マッサン」は大正時代。「ばけばけ」は今たぶん明治20年代くらいだろう。

 するとどうなる?「マッサン」のエリーは大正からタイムスリップして過去に戻り「ばけばけ」の時代に来たということか。なんでそんなSFチックになるんだ?

 

 いやむしろこういうのはどうだ。

「ばけばけ」のイライザはこのあとヘブン先生(トミー・バストウ)と別れてアメリカへ戻ったのち、スコットランドの人と知り合って結婚し、彼の国で暮らすようになる。やがてそこでひとりの娘を生む。それがのちのエリーである。

 

 

 これならとりあえず矛盾はないだろう。

 

 

 良かったらいつか大河ドラマにしてください。

もちろんタイトルは「いとしのエリー」である。

 

 

 

 

 ここ一ヶ月くらい買い替えラッシュである。

まず掃除機。それから炊飯器。そしてガス台。

 

 よく、家電は同時期に壊れることがある、という話をきく。でもうちの場合は壊れたとまでは言えなかった。

 それぞれ、ちょっとだけ不調だった。でも使えないわけじゃなかった。

 

 掃除機は吸引力が落ちた。炊飯器は新米でさえ水を多めに入れないとうまく炊けない。ガス台はグリルの点火が不十分でしばらくそのまま放置しないと全体に火がまわらない。

 

 どれもこれもまだ買い替えるほどじゃないな、と半年以上そのままだったが、この一ヶ月ほどの間にすべて買い替えた。

 

 どれかが完全に壊れて、とかいうのならわかりやすいが、そういうわけでもない。

 では何がきっかけかというと、まあ気まぐれとでも言うしかない。しいて言うなら新聞の折り込み広告だろうか。

 

 年末が近づいてきて家電量販店やホームセンターなどが、しばしば大きな広告を入れてくる。それを眺めていて、掃除機買い替えるかなあと思い立ち、何軒かの店舗をまわった。そして購入した。

 その勢いで、というわけでもないが、炊飯器もガス台も結局買い替えた。

 

 

 掃除機の調子はいいし、ご飯はおいしく炊けるし、ガス台は新品なのでいつもの面倒な掃除も今年は不要。

 もういつでも、正月が来るならどうぞという気持ちである。

(いや、ウソです、まだまだやらねばならないことがいろいろある)

 

 

 

 

 

 

 本日の朝ドラでの怪談「子捨ての話」は、聞いた途端にどこかで読んだような気がした。

 たしかあれは、と考えてすぐに思い出した。夏目漱石の「夢十夜」に出てくる話だ。なんか似たような印象だったと思い、さっそく昔読んだ文庫本を出してきて開いてみた。

 

 「夢十夜」のうち第三夜の話。たしかに似ている。背負った子供が大人のようなしゃべり方をし、「あの晩もこんなふうだった」というような、ありえない記憶を話すのだ。

 

 

 そういえば、と私はひとつ思いついたことがあった。ラフカディオ・ハーンはこのあと熊本の高等学校に勤め、さらに東京大学の英文科の教師になるはず。

 そして漱石もまた熊本の同じ学校勤務ののち、東大の先生になるはず。

 もしかして二人は同僚教師だった時期があり、ふたりでいろいろ話すような機会があったのでは?と想像した。

 

 だが、調べてみるとそれは違った。時期がちょっとだけずれているのだ。熊本も東大も、ハーンが去ったあとに漱石が就任している。つまりふたりに接点はない。

 ただ漱石は先輩の英語教師でもあったハーンを敬愛していたとかいう話もあるようだから、当然彼の怪談の本も読んだだろうと思う(ちなみに、ハーンのほうが17歳年上)。

 

 「夢十夜」は「こんな夢を見た」ではじまる物語だから、実際に漱石が見た夢を脚色しているだけかもしれないが、場合によってはハーンの怪談にインスピレーションを得て書いた物語といった側面もあるのかもしれない。

 

 

 もっとも漱石の話のほうは、「子捨ての話」よりもさらに無気味で怖い結末になっているので、どうか興味のある方はご一読を。たしかネットでも読めるはず。短い話です。

 

 

 朝ドラのことに戻ろう。

 怪談話をするおトキちゃん、というか高石あかりの話し方語り方が妙に上手い。上手すぎると感心する。

そう思いませんか、みなさん。