感性と感覚と教育と習得 | 奏弥ブログ(´_>`)

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やんさんそれは食べ物じゃないわよおお



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夏に実家に帰ったときに

ふと考えていたことを



ツイッターに書くのはダラダラと面倒になるし


ブログに。笑




例えば自然を見て綺麗だと思うこと自体不自然だ

なんて言葉がありますが


そういえば自然を見てそういう感情を持つようになったのはいつからだろう


小学生の頃やその前は

田舎育ちだったこともあり

純粋に街の景色とかビルばっかの都会の景色に興奮したしワクワクしたし純粋に唇噛むほどワクワクした


今はその逆で

実家に帰ると、地元に着いて景色が見えるとワクワクしてしまう


理由は違えど思想の構造は同じだと思う


単に無い物ねだりという見方もできるが


そもそもの元として

何故人は自然を見て感動するか

というとこなんですが


確かに大自然と言われそうな景色とかを見たときにすげぇなって本能的に思うものはあると思う


けどそれを綺麗とか美しいに結びつけるのは

僕らが育ってくる中で植え付けられた感覚なのだと思う


世の中そーいったものは沢山あって

というか僕ら早ければ10代後半、

もしくはそれ以降から持ち始める感性なんてものは大半がコレに当てはまると思う


そこまで含めて自然で感性だと捉えるか

それこそ小学生やそれ以前の頃のように

なにか秘めた興奮の元があるものを見たときに感動する心を自然な物だと捉えるか



こんなこと考える事自体、無駄であり不自然だと捉えるかもしれない


が、その答えは誰にも解らないし

証明しようがない


僕としてはもっともっと奥の素直なもの

生物的というか人間的というか

そのギリギリの感性みたいなものを


失ってしまった20歳の今、


思考によって取り戻そうと

いや、掘り下げて行こうと思う


というか常にそういった考えをしてしまっている



とりあえず飽きるまでは笑




こーゆーことを考えること自体無駄なのかもしれないが