こちらも年が明けて、1月2日の朝です。
昨日は、質素な雑煮を食べました。
今日は、ちょっと寒くて、-20℃です。![]()
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2017年、皆さんも、我が家も、世界中の人々も、
荒波も
凸凹街道も、平坦な道も、
泣いたり笑ったりしながら乗り越えられますように。
いい感じの書初めで、前向きになった元旦でしたが、早くも、そして久しぶりに撃沈、いえ、自爆しました。![]()
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お正月、亡くなった姉の旦那さんを含む日本の親戚で作ったライングループで、新年のあいさつをしていました。
みんなの会話が入り乱れている時、気がついた。
私の発言の、返事はあまりない。
お義兄さんからは全くない。![]()
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また義兄さん問題のようですけど、日本のお義兄さんはとてもいい人で、今まで何にも問題はなかったのですよ。
ただ、姉が亡くなったことで、潤滑油がなくなったように関係がぎくしゃくというか、ちょっと前と変わって難しくなってしまって、可愛い甥っ子もいるので残念に思っているのです。
それで、自分の発言をよく読みかえして、考えたんです。![]()
そしたら、やっぱり空気読めていないなと気がついた。
人が、なぜそれを言いたかったが分かっていなかった。![]()
私の発言は、言いたいことを言っただけで、キャッチボールにはなっていない。![]()
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自己中心的というのかな。
よく考えてわかるなら、チャット中に分かりそうなものだけど、それが分からないの。
よく、失言して後で気がついて後悔するの。![]()
日本では、いっぱい空気を読まなきゃいけないママ軍団が一番怖かった。
どこかで「注意欠陥障害者は、普通にしていると『怠けている、気が利かない』。
頑張ると、『余計なことをする』と言われる」って読んだけど、本当にそのまんま。
じゃあ、自分な得意なことで役に立とうと、頑張るとやっぱり空回り。
この悲しさは、前からよく味わってきたの。
最近は、小さい社会に出ただけで、「私って、やっぱりカナダでも嫌われるんだな」って気がついた。
移民仲間の、ウクライナ人の人が、私を無視するようになった。
あるとき、私が話しかけて、目を見たら、そらして逃げてしまった。![]()
同じ場所にはいても、ほとんど話したことはない人で、接点もなく、嫌われる材料がない。
考えられるのは、大勢の中で私が誰かに質問をした時、その質問が的を得ていなかったとか。
それしか、私を知る機会はないと思う。
(「~人は」と言うと、それだけで人種差別だと思うから言いたくないんだけど、出身国を知ると、その人をより理解できることがあるので、今も言ってしまいますが、)
インド人の人達にはよく露骨に見下されます。
自国では使用人がしてたから、私は料理もしたことなかった、なんて人ばかりだからと思うけど、自分より下だと思われなければ見下されない訳で、やっぱり私は変な発言してるんだろうなと思います。
発達障害の人がよく引きこもりになるのは、とてもよく理解できます。
家にいれば、自己嫌悪になることはないから。
でも私は、人が好きだから、外に行くの。
それで傷ついて、何かあると、また嫌われてるんじゃないかって、疑って、簡単に人を信じられない。
たまに
普通に気が利いて、人の役に立つ人になりたかったなって。
人の役に立とうと頑張って、嫌われるんだもん。
でもね、でもね、その気持ちもブログで救われるの。![]()
「前向きになろう」「私がんばってる」「笑顔で行こう」って決めたじゃないって思い出したり、
いまも、ママ友はいなくても、個性的で魅力的な友達がいるじゃないって思い出せた。![]()
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それからね、人のブログで内容以外にも意外なことを学べてるの。
記事やコメントを読んで、人の会話を学べる。
自分の記事やコメントをあとでじっくり読み返して、客観的に見ることができる。
いつもは通り過ぎて、なぜ人に笑われたり、首を傾げられたリ、避けられたりしたのかわからないことが、ブログなら後からわかる気がする。
でも、だから後から恥ずかしくなって、後悔して、人にコメントした後は、もうコメントしないって思うんだけどね。![]()
そして、だからと言って脳の働き方は変わらないので、なにも劇的には変わらないんだけどね。
でも勉強になる。
やっぱり考えすぎな不思議ちゃんかな?
気持ち悪いから、コメント二度としないって思わないでね。
こんな私のブログを読んでくれてありがとう。
我慢できず、変なコメント書いちゃったときはごめんね。
時には一つのコメントやお返事に1時間半かかったりしながら、頑張ってるから、
今年もどうぞよろしく。
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