行ってきました、決戦に。![]()
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でもあまり時間がなくて、回り込んでカウンターパンチをするつもりが回り込んだだけで終わってしまい、旦那さんに関わる話しがあまり聞けませんでした。![]()
核心をつけなくて、まだもやもやが残っていますが、私はいつも言いすぎるので、これで良かったのかなと思ってます。
なにより、義兄夫婦が最近姑の異常さに気がついて困っていて、私の大変さも分かったらしく、少し肩の荷が下りました。![]()
会ってすぐ、世間話をしようとする義兄に、ぐさっと切り込みました。![]()
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「時間がないので、本題に入ります。
私がメールをしてもカードやプレゼントを送っても返事がないということは、それなりに理由があるからだと思いますが、一度話した方がお互いのためにいいと思ったので、会ってお話しいただくことをお願いしました。
私は、何を言われても怒らないので、真実を話してください。」
「まず、私に、連絡して欲しくないんですか?」
「私たちが義母と住んでいる時は、私たちを追い出すために、その必要があったと理解していますけど、他にも何か理由があるのですか?」
そう言って話し始めると義姉は、
「それはただ、あなたを心配したからよ。
彼(うちの旦那さん)はナイスじゃないから、あなたが大変になるといけないと思って。
(考えたら失礼な発言ね。まあ、ナイスじゃないんでしょうけど![]()
)
そうじゃなくても外国に移住して、義母と住んで、大変な思いをしているだろうに。」
「それは、私があなた達と連絡を取っていることを、うちの旦那さんが良く思わないからってことですか?」
「そうね。」
「それなら、心配しなくて大丈夫です。
彼は、あなたたちのことを全く話さないし、私もあなた達のことを全く話していないから。本当にそれが、正直な答えですか。」
「そうよ。」
旦那さんが話してくれた、兄に対する劣等感の話しもすると、ふたりとも
「それは知ってる。自信がないのよね。周りの人の、扱いが違うからでしょう?」(
)
彼が劣等感を感じるような状況の時に、彼に気を配ってくれるようお願いすると、
「う~ん。周りの人の行動を変えることはできないけど。」
彼らが家の旦那さんの劣等感のことを知っていることには驚きました。
知っているのと、理解できるのは別なのでしょうね。
旦那さんがアスペルガーのグレーゾーンだと思うので、脳の働き方が他の人とは違うこと、もし彼を理解したかったら、アスペルガーの本を読んでもらうようお願いしました。
発達障害についての研究、対応が発達しているカナダですが、彼らは発達障害も、アスペルガーも知りませんでした。子供もいないので、知るチャンスも少ないのかもしれません。
義兄「母のことだけど…」
私「私に何をして欲しいですか?普通、親の近くに住んでいる子供が親の面倒を見て、様子を遠くに住む兄弟に知らせたりするものだと思いますが。」
義兄さんが言うには、姑は誰にも会いたくないそうです。(![]()
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信じられないというように、孫にも会いたくないらしいと言うので、
姑が、孫を愛していないと言った話し、孫が嫌がることをし続けた話しをするとびっくりして、彼女はアルツハイマーで、何を言っても答えは分からないだし、変なことばかり言うので自分たちも困っていると言いました。
そこで私も、触れるつもりはなかった、同居していた時の姑の監視行動について話すと、やはり驚いて、それもアルツハイマーの症状だと言っていました。
その後は、逆にいくつか質問されました。
義兄妻「あなたたちはお金に困っていないの?」
私「あなたたちに迷惑はかけませんのでご心配なく。」
「そうじゃなくて、どうやって生活しているの?
あなたが働いているの?」
「旦那が働いて、生活してますけど?」
「そう、それは良かったわ。」
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私「お義父さんさえ、もう治らないかもしれないと言っていた、旦那さんの心の病は、もうずっと落ちいていて、治ったと言っていいと思います。」
「どのくらい?」
「少なくとも、私たちがこちらに来てからずっとです。」
「それは、良かったわね。」
「あなたは何で別居を止めて、カナダに来ることに決めたの?」
「子供が、勉強するのを止めて、不良グループに足を踏み入れ、高校には行けそうもなくなり、家庭内暴力がエスカレートし、家での会話はすべて怒鳴り合いになり、私の手に負えなくなっていました。
思春期の男の子には父親が必要だと聞きますけど、どんな父親でも必要なのかと考えました。
子供が学校を辞めるとき、私が仕事を辞める時は、もう後には引けないと、本当に迷いましたが、子供の精神のためには、やはり助けが必要だと思い、大変なことが待ち構えていることは分かっていましたが、子供のためだけに、移住することにしました。
いま、彼は驚くほど父親のことはとてもよく聞きます。
いまだにカナダに来たくなかった、日本に帰りたいと言いますけど、日本にいたら、将来はありませんでした。
来て良かったと思っています。」
「え?!父親のことを聞いてるの?」
・・・
「人は誰でも得手不得手があると思いますが、彼は人にはできないことがある分、人にはない才能も持っています。
私はそれを信じていますし、手助けしています。彼はそのうちきっとあなたたちが誇らしく思うような人になりますから、信じていてください。」
「それは簡単なことではないでしょう?」
「才能は、疑いもないことですが、それを生かすことは難しいことです。
でも、信じていてください。私たちが信じていれば、よりそこに近づきますから。」
お義兄さんはとても難しいというように、首を傾けていました。
どうやら、うちの旦那さんは相当ひどい人で、私と子供も大変な苦労をしていると思っているようです。
裕福じゃないけど、不満もあるけど、良い父親をしてくれているのに。
メールでもそれは何回も書いたのにな。
言いそびれちゃった。
言いたかったな。
ちゃんと聞きたいことを紙にまで書いて行ったのに、このあと一番肝心な「旦那さんと縁を切りたいのか」「旦那さんと義兄のために私は何ができるのか?」がすっ飛んでしまいました。![]()
次の日にも、やっぱり聞きたかった、どうしようかと思いましたが、こうやってブログに書いたいま、言いたいことは十分言えたなと思えています。
何事もなければ、次にお義兄さん夫婦には会うのは、2年後です。
核心は、この時に聞こうとしよう。
ほとぼりも冷めて、話しやすくなっているかもしれない。
もっと溝が深くなって、どろどろになっているかもしれない。
でも、私たちの生活も落ち着いて、このまま力を合わせて生活していけば、お義兄さんからの見る目が変わるような、危うさのない関係が築き直せる気がする。
ところでこのあと叔母の家で、姑、お義兄さん夫婦、旦那さんと子供が集まりましたが、旦那さんがほとんど義兄を無視していて、ショックを受けました。
いくら劣等感を持っていても、失礼な態度です。
彼は、言わないと分からないけど、言ったら分かることもあるので、話しました。
「お兄さんが、あなたに取った行動を考えれば微笑むのは難しいかもしれない。
でも、そんな状況の中できちんと話をしたら、私はあなたを誇らしく思うし、子供は尊敬する。」
次の日の、別の叔母宅でのクリスマスディナーで、旦那さんは頑張って穏やかに話していました。![]()
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