先日上海から帰国したと思ったら、昨夜の飛行機でバンコクへ
飛び立ってしまった旦那さま。
ここ一週間くらいまともに話をしていない。おまけに忙しくて
機嫌が悪くてイライラしているもんだから、私も当たり障らずで
あっという間に「いってらっしゃ~い」
私とてこちらでもこちらなりにバタバタしていて、先週はずっと
残業続きで持病の神経痛がひどくなった。
休みにようやく足裏マッサージにいってスッキリしたと思ったら、
今度は寝違えて首が回らない。
今度の連休は某講習会で東京へ戻るので、これがまた
ゆっくりできるかどうかと言えば、疑問符がつく。
自分で選んだことだから当たり前の話だ。
(ちなみに旦那様は私が東京にいてもまだ帰ってきて
いない)
報道で、原発反対のデモを見ると、まったく関わり合い
のない場所に(実はそんなことは無いのに)いるような
気がするし、誰ひとりとて私の周りで原発の話をする人は
いないのだ。
大飯が再稼働したもんだから、私の父親まで原発の
必要性を説くようになり、この間からなんとなく話がしっくり
いかない。
確かに火力発電の大気汚染や石油の枯渇問題など、
原発に代わってとりあえず食いつなぐものとして現在進行形の
エネルギーは決して自然に良いものではない。だからこそ
代替エネルギーとして原子力が出てきたわけだから。
こうなると、本当に個々が節電をして余分なエネルギーを
使用しなくならない限りは(もちろん産業に使うものも含めて)
全体としての電力は不足して当たり前である。
だが、今から40年、50年前、電気が無くて失われた命が
どれくらいあっただろう。現在に比べればかなりの数字に
なるのだろうが、それが「自然」だった。そして「仕方ない」で
済ますしかなかった。
どれでもみんな頑張って生きてきた。それなりに暮らして
きた。
今だってできない訳ない。もちろん伴う痛みや失うものは
増えるであろうが、それとて「仕方ない」で片づけても
いいのではないか。
結局人間は古今東西、あちこちグルグル回っている。