安部元首相が銃撃され、山上容疑者の背景にあった、ある宗教団体にクローズアップされています。
ワイドショーも週刊誌も連日、この話題を取り上げ、この宗教団体にかかわった政治家への追及も格好のネタになっています。
そんな中、私の想いの中でいろいろなことが出てきました。
まず、テレビの中で話されている、善い宗教、悪い宗教
という言葉です。その団体の当事者たちは、これで天国にいけると真剣に、魂にまで浸食され信じているわけです。
善い、悪いの概念で語るとき、これは一般論的に視聴者の善悪に委ねていることになります。
しかし、私たちは良い宗教、あっちは悪い宗教と分けられないものを、わかりやすく言うためとはいえ、違和感しかありません。
他の新興宗教で、政治家がかかわっている団体なんて山ほどあるわけですよ。
どうも、該当する団体は、宗教団体というより、政治団体ですよね。
信仰の原理原則は神さまと私との一対一の関係です。
この関係は崩れることはないと思います。
では、団体ではやりたくないという人がいます。
この心情はわかります。集団心理が働きますし、この世の一番の勉強は人間関係ともいわれるぐらいグループになれば人との摩擦も生まれます。
でもね、個人戦ではできないことを団体戦でやらねばいけないこともあるし、サタンとの戦いは団体戦といわれているんです。
ですので、グループを組む意味はあります。
では、そのグループの責任だれにあるのでしょう。
それは当然、霊的指導者になると思います。一般の会社組織もそうですよね。
聖書にも教会について書いてありますよね。
安部元首相の銃撃問題は、思ったより闇が深かった。
もう少し、霊的視点で掘り下げたいと思います。