ここに辿り着くまで、長かったな。 | 爽やかでステキな、セクシーメンズ+ヘルニア改善を目指す物語

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タイトルにちなんだ日常生活を投稿してゆきたいと思います。
よろしくお願いします。

タイでの2日目(月曜日)の事です。


久しぶりに前の会社の先輩と後輩と夕食を共にさせて頂き、昔話に花を咲かせました🌺

 

今や皆別々の会社👨‍⚖️に勤めていますが、先輩も後輩も今もタイで二十年仕事生活をしているタイのプロフェッショナル!


3人とも前の会社の駐在員経験者という強い共通点があるせいか、駐在生活の苦労話や、その時に

強烈な個性を持った当時の会社の上司の方の話で

盛り上がりました。ちなみにその方は12年前にお亡くなられました。

 

先輩とその方の話をしていて駐在員時代はその

上司があまり好きではなかった、という共通の

意見、思いを持っていた、という話になりました。

 

まあ理由は数え切れない位あるのですが、レストランの中で取引先の方々、他の客の前で怒鳴らて、けなされてこちらのプライドもズタボロに

されるほど、けちょんけちょん、に厳しい言葉を

浴びせられ、タバコの煙を顔にかけられたり、

あげくの果てには、


『お前の給料が会社の利益を圧迫させてる』 


というような言葉を言われたり。。。。。


 

27歳でマニラに赴任中は日本でもらっていた給料の50%分しかもらっていなかった

(これはまた、別の問題でいつかお話できると思います)のに、如何に会社の売り上げを上げるかを考えずにそんな話をされて。。。




この言葉は仕事人生の中でも人に言われた言葉として強烈に印象に残っています。

悔しすぎて家で泣いた覚えがあります、ハイ。


 


まあ、最後のその一言が駐在員時代にその会社を辞める引き金というか駄目押しというか、みたいなものになったのですが。。。

 

ちなみにその上司も1960年代のマニラ駐在員だった方で、自分の知っているマニラだけに、私に対する接し方も非常に厳しいものがあったのだと

思います。

 

違う意味で胸を締め付けられると言うか、強い憤りを感じた場面も少なくなかった駐在員時代。


日本人に駐在員は自分で運転してなならない風潮が強かった当時、日本でペーパードライバーだった自分がマニラ赴任時からいきなり自分で運転しなくてはなり、マナーも何もない、先行ったモンが勝ちみたいなルールのマニラで現地の警察官にイチャモンをつけられたり、私が運転中助手席にいた同僚が悪質なダンプカーに腹を立てイキナリ鞄から銃(当時フィリピンでは所持可能でした、self-defence用で。今もかな⁉️)を取り出し、

ドンパチをやらかしそうになったり。。。


『オレ、何しにここに赴任したんだろう⁉️』


と思う日も沢山ありました。



しかしまあ、今の自分たちがこうやってずっと同じ業界で仕事ができて、また他の会社の駐在員が全く経験していないであろうたくさんの厳しくて、反面楽しくて、かつ極めて貴重な経験をさせてもらえた事が今となっては活かされ、少なからずステップアップしている現状を見た時に、それも当時の上司のお陰なのかな、ということろに初めて辿り着きました。


今回この三人でバンコクで会いこんな話になったのも、あの方がそう仕向けたのではないか⁉️


そんな事も思いながら上司に感謝しながら約3時間お酒を飲みました 🍻🍻🍻

 


先輩は今50代、私は40代。後輩も40代。


10年前はこんな話にならなくて逆に我々も言いたい放題文句を言いながらのお酒の場であったでしょう。


しかし、侮辱的なことをされたのにも関わらず今回あの方の良い部分をお互いに探りながら口に出

し、笑顔でその方のことを語りながら当時の苦労話が出来るようになりました。

 

色んな経験を年齢を重ねながらしたからでしょうか、自分たちの中で昔あった『わだかまり』みたいなものがたまたまこのタイ滞在中に、消えたような気がします。






その気持ちにたどり着くまで、ホンマに、

長かったな〜〜〜😂






今の時代では、私が昔経験したような事は

『 パワハラ 』 みたいに言われるかも

しれません。


しかしその時にはわからなくても時が経てば、それがその方なりの『 温かみ 』であることに気づかされた経験を自分がした今、何ハラと直ぐに連呼する時代でも、違うやり方、今の時代にあった方法で、先輩から学んだ事を次世代に引き継いで行かないといけません。



そんな事を感じながら初日のバンコクの予定を完了しました。







桃ゆた桃