2024年6月
鎌倉山の東端を、南北に貫く隧道があります
それが今回の隧道です
神奈川県鎌倉市笛田5丁目/6丁目
(スタート地点)※笛田の住所を載せましたが、ご覧の通り、今回の探索場所は、厳密には更に「鎌倉山1丁目」と「極楽寺4丁目」も含まれます※
※進むとすぐに、別の坂道が左に現れますが、間違って左に行かないでください
ここで間違えると隧道へは行けません※
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240610/12/adayinthelife896/db/f9/j/o1080074915449768365.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240610/12/adayinthelife896/e3/fa/j/o1080049815449768371.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240610/12/adayinthelife896/0d/4e/j/o0498108015449768375.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240610/12/adayinthelife896/b0/d6/j/o1080049815449768379.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240610/12/adayinthelife896/d6/c4/j/o1080049815449768385.jpg?caw=800)
Q地図より転載、及び切取加工正式名称は「三和隧道」なのでしょうが、地元では、打越にあるから「打越トンネル」とも呼びます
もっとも「打越」といっても、昔の古い字(あざ)なのか、今では地名としては存在せず、バス停の名前ぐらいにしか残っていないハズです
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240610/12/adayinthelife896/38/cc/j/o0498108015449768394.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240610/12/adayinthelife896/86/ea/j/o0498108015449768395.jpg?caw=800)
扁額はこちらもありません
(※参考文献でも、この穴には言及されておらず、個人的推測に過ぎません※)
極楽寺側出口に立ち、見上げます
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240610/19/adayinthelife896/e5/83/j/o0498108015449921663.jpg?caw=800)
鎌倉山の岩盤は、強くて層が厚く、十数メートルの高さに岩がそそり立っているのが、(肉眼だとはっきり)確認出来ます
戦後、昭和21年の1月に、米軍の爆撃調査隊の少佐という人が、陣地を視察した際、 「みんな空中写真で分かっていたが、唯一ここ、鎌倉山だけは空中撮影で探知出来なかった」という話があります
穴はかなり広く、幅は5~7m、高さは5~6m、奥行きは20~25mはあるそうで(間口7.28m、高さ10.92m、奥行き21.84mとの証言も)、いずれにしても、テニスコート1面に匹敵するそう
洞窟内は、開口部から奥に向かって二間の通路を確保、両側壁に寄せて軽量兵器は洞窟奥に搬入し、重量兵器は開口部近くに区画したそう
終戦後の武装解除の時の逸話があります
歩兵砲を三門回収した際、洞窟内に引き込むことが難しかったので、開口部の坂下の山道に放置しておいたそう
そうしたら、いつの間にか二門になってしまい、大型兵器とあって探し回ったら、片瀬の進駐軍本部前に陳列してあったそうで、驚いて片言の英語で理由を述べたら先方も了解し、取り戻した
という笑えぬ一件もあったそうです
けど、ポールの根元が若干、垂直ではなく水路側に曲がってるの、地味に有り難かった記憶が……
参考文献
「鎌倉・太平洋戦争の痕跡」
鎌倉市中央図書館近代史資料収集室 CPCの会