2024年6月


鎌倉山の東端を、南北に貫く隧道があります


それが今回の隧道です




神奈川県鎌倉市笛田5丁目/6丁目

(スタート地点)※笛田の住所を載せましたが、ご覧の通り、今回の探索場所は、厳密には更に「鎌倉山1丁目」と「極楽寺4丁目」も含まれます※








スタート地点の交差点あの建物を背に、手前方向に進みます


※進むとすぐに、別の坂道が左に現れますが、間違って左に行かないでください


ここで間違えると隧道へは行けません※




住宅街を直進


電柱で左折


左には小川というか、沢が流れています


勾配のキツイ坂をのぼると、左に階段が現れます



階段の出現と同時に隧道も見えてきます


扁額無し


隧道手前右側レンガと石の境目



笛田側ここは、戦後になっても十分な整備がされず、 内部に横穴があったりして(現在は見えません)、「おばけトンネル」とか「バケトン」などと呼んでいます




Q地図より転載、及び切取加工正式名称は「三和隧道」なのでしょうが、地元では、打越にあるから「打越トンネル」とも呼びます



もっとも「打越」といっても、昔の古い字(あざ)なのか、今では地名としては存在せず、バス停の名前ぐらいにしか残っていないハズです



オバケなんかより、この隧道、何がコワイって「こんなに狭いのに一方通行じゃない」という事実です


「笛田」と「極楽寺」をタテに結ぶ道の峠となっているところで、整備された現在でも、車一台しか通れないほどの狭さです



極楽寺側出口抜けました

扁額はこちらもありません



穴があります


太平洋戦争の痕跡だと睨んでいます

(※参考文献でも、この穴には言及されておらず、個人的推測に過ぎません※)


極楽寺側出口に立ち、見上げます


鎌倉山の岩盤は、強くて層が厚く、十数メートルの高さに岩がそそり立っているのが、(肉眼だとはっきり)確認出来ます


戦後、昭和21年の1月に、米軍の爆撃調査隊の少佐という人が、陣地を視察した際、 「みんな空中写真で分かっていたが、唯一ここ、鎌倉山だけは空中撮影で探知出来なかった」という話があります





極楽寺側の出口左に隣接する穴これは、軍隊が終戦当時、兵器・弾薬などの貯蔵に使用していた広大な地下洞窟の出入口です



地元の要請や、危険予防の観点からコンクリートで閉鎖することにしたそう


穴はかなり広く、幅は5~7m、高さは5~6m、奥行きは20~25mはあるそうで(間口7.28m、高さ10.92m、奥行き21.84mとの証言も)、いずれにしても、テニスコート1面に匹敵するそう



洞窟内は、開口部から奥に向かって二間の通路を確保、両側壁に寄せて軽量兵器は洞窟奥に搬入し、重量兵器は開口部近くに区画したそう




内部はトンネルと平行して存在するも、トンネルと合体の構造ではなく、この壕とトンネルとは、いくつかの細い横道で連なっているとのこと参考文献より転載



終戦後の武装解除の時の逸話があります



歩兵砲を三門回収した際、洞窟内に引き込むことが難しかったので、開口部の坂下の山道に放置しておいたそう

そうしたら、いつの間にか二門になってしまい、大型兵器とあって探し回ったら、片瀬の進駐軍本部前に陳列してあったそうで、驚いて片言の英語で理由を述べたら先方も了解し、取り戻した



という笑えぬ一件もあったそうです





極楽寺側出口の先にて目的地不明の不思議な階段



更に進んだ所標識やら看板は好きだけど…



もうコレ…

以前(しかも夜)、車で通った時、「死への道標」かと思ってドキっとしました




その水路


幸い、現在ではフタがされていました


2019年3月ストビュー

脱輪したらレッカーも入ってこれません



水路の先 きわどい右折5ナンバーの愛車で走破済


近隣に3ナンバーの外車も見受けられましたが、普通乗用車での走破はオススメしません




ここで以前、愛車のフェンダーミラー逝きました


けど、ポールの根元が若干、垂直ではなく水路側に曲がってるの、地味に有り難かった記憶が……




あとはもう…歩道に毛が生えた程度の道





参考文献
「鎌倉・太平洋戦争の痕跡」
鎌倉市中央図書館近代史資料収集室 CPCの会