2024年5月


神奈川県相模原市中央区矢部新町「相模陸軍造兵廠」の関連遺構を探します



拡大
青線は、確信が持てる廃線跡(相模総合補給廠専用線)



(ただ、米軍敷地内はレールが撤去され、進入も出来ないため、目視で確証を得るのはもう不可能)




参考①1944年~1954年


参考②
1961年~1969年



青線南端地点柵の中が廃線跡



柵の外の地面が、レールで盛り上がってます



振り返るとJR矢部駅方面

不自然な用地



こちらにも、レールが続いていたと思われますが、遺構は見当たりません





では駅を背に、北東へ進みます
柵の中

レールが確認出来るのは、ほんの一部




同じ柵の中でも時期も時期なので、ほとんどはこんな感じ





すぐに米軍のフェンスに突き当たり

道は途絶えます



柵の中
ここまで柵の左を歩いてきましたが、人が通れる位の通路があって、右と行き来出来るようになってます



通路に残るレール



近くにも


フェンス1枚隔てただけですが
米軍敷地内はよく分かりません


古そうな倉庫群?




1945年~1950年
古い地図に重ねると、今だいたいこんな向きで撮ってます


この年代でも、建物の存在自体は確認出来ます

(ただ、年代別航空写真で、屋根の色が変わったりしてるので、改修くらいはされてる可能性あり)




ところでこの辺りに、「陸軍用地」の標石があるはずなので、確認します

(すぐ近くですが、地名は神奈川県相模原市中央区淵野辺)



フェンス越しの防衛


わざわざフェンスが標石を避けてるの、良い



これか?!

フェンスがどう見ても不自然…


さっきの「防衛」より太い


陸軍用地


左に埋まってるこれは、たぶん関係無い

(わざわざ塗られてるのは気になりますが)



頂部の面積からして、おそらくこれも陸軍用地



矢部駅のほうへ戻ります線路跡、だそう

(撮影時、ただの蓋と思った)



横たわった「防衛施設庁」



中途半端に掘り返されたものも



石碑これは「上矢部公園」の中にあります


第三代廠長 原 乙未生 書


日本の、戦車開発黎明期に、中心的役割を果たし「日本戦車の父」と呼ばれている人物だそう



裏を一部要約昭和12年3月
陸軍東京工廠相模兵器製造所設立

昭和13年6月
戦車・牽引車・砲弾の生産を開始

昭和15年6月
相模陸軍造兵廠に昇格
敷地面積拡大

昭和16年4月
横浜線相模原駅開設

昭和20年8月
終戦により閉鎖


参考
http://sobu-erw.o.oo7.jp/03/01/01/12/index.html