2024年4月


神奈川県高座郡寒川町一之宮

お花見帰りに、ずっと行きたかった場所へ寄り道してもらいました



それは、西寒川支線廃線跡です



大正11年 (1922) 、相模川の砂利輸送線として、寒川駅~四之宮駅間が開通

砂利輸送に始まり、貨物、旅客営業も行われましたが昭和59年(1984)廃止




石碑


 ここ、旧国鉄西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転するとその視界に工場群が迫る。そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年敷地704,000㎡)の跡地である。往時を偲べば先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。

 第二次大戦後、工場立地に恵まれ、跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。いま、大地に深く根差した緑に世界の平和を願い、国土の安穏を祈る。


 建立 相廠会及び協力企業

 昭和63年春


(コケによる難読部分ありますが、ほぼ原文ママ)



石碑の先にレールが一部残っています


20m位?

正面木の奥は「八角広場」(旧西寒川駅跡)




レールの製造年を探しましたが、私には見つけられません



石碑の方へ振り返る


一旦、途切れる


さっき正面に写り込んでた木の根っこ




これは八角広場にて
八角広場は、文字通り八角形の噴水があることに由来しているそう


夏場じゃないと噴水しないのか?空っぽだったので撮影なし


代わりに…
「さむかわの観光」より転載




少し歩くと廃線跡は、車道を横断します



車道を横断した先


手入れのしっかり行き届いた草花

お散歩にぴったり



レールの一部と車輪があります



右には「一之宮公園」があります

この辺りは、旧相模海軍工廠にガスを供給する、「ガスの加工所」と「ガスタンク」があった所





真上から撮影


車輪の先から再びレールが出現
(約200m続きます)



レールの右には、広めの歩道があり、桜もちょうど満開です


もう鉄道は通らないわけだから、当然と言えば当然ですが、レールや枕木の部分は、特に立入禁止等にはなっていません



レールの左脇に、看板が設置してあります


ここに残る一番古い「1909 Ⅲ」と刻印されているレールは、100年以上前に官営八幡製作所で作られたもので、現存する「国産レール」の最初期のものだそう

「1909 Ⅲ」とは、製造年と製造月の組合せ

つまり1909年3月という事だそう



(私は見つけられませんでしたが)一部のレールは、製造年の表記が、「西暦」ではなく「皇紀」だそう

そのあたりに、軍事国家だった頃の雰囲気が出ているように思われます




レールは再び一旦途切れます

奥に車輪が見えて、その先に、遊歩道がまた続いてるみたいです



この先、少し足を伸ばすと、現在線の相模線との合流(分岐)点に行けるそうなので、せっかくなので確認しに行きます


さっき写ってた車輪



南国チックな植物と、警告





この警告の反対側に、「鍵」みたいな石が転がってます!?



工通信

工部省が関係しているのでしょうか?
(分かる方、教えてくださいませ)






遊歩道もそろそろおしまい



踏切跡



「ゲート広場」と呼ばれる所

冒頭の「八角広場」から約900m


画面中央の辺りが廃線跡



3台車がとまってる辺りがおそらく路盤




歩いてきた方を振り返る







柵の右辺りを通っていたはず




手前が路盤

奥に見えるのは現在線


国鉄の境界標





分岐点付近




分岐点付近にコンクリート構造物


何なのかは不明




上から見るとホームのように見えるけど、たぶん違う…




分岐点まで確認出来たので、石碑方面へ戻ります



桜がちょうど見頃です


植木に隠れた、国鉄の境界標




帰り道は、行きとは違う発見がありますね

 
参考
https://www.samukawa-kankou.jp/?p=we-page-entry&spot=229575&cat=23164&pageno=3&type=spot