月歌夜奏 -16ページ目

月歌夜奏

GeKkaYaSo

内戦や紛争。

国内では天災と被爆のニュースはじめ、世の中は悲しみと憎しみで溢れてしまう。

 

争いの原点。

原因・起因、暴力の原動力には何が在る?

 

それが判ったところで消すことは出来ないのだろうか。

そこと闘っていく価値は無いのだろうか。

 

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人口第二位のインドの『不可触民(ダリット)』の存在を識っているだろうか。

カーストですら吐き気がするのに、更にその下を作っている。


部落って言葉を集団社会を表すの単位の一つとし、

差別的な表現とは受け取らない私では在るが、

『穢多(えた)』と『非人』が付けば嫌悪感が出る。


『穢(けが)れ多く、人に非(あら)ず』

その理由は出自だけだ。

彼等は何をした訳でも無いのに、穢らわしいと差別されている。

こんな馬鹿な話は無い。
而も社会は、彼等に仕事の一端を任せて居るにも関わらずだ。
 

おかしいと思う。

どう考えても異常なことだ。
ダリットは『殺されても文句が言えない』そうだ。
理由は不可触民だからだと。
決して覆されることが無い理由。


生まれや育ちや過去の経歴で蔑まれる事に疑問を持たない事は
これ程、恐ろしいことは無い。

 

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ベトナム戦争の帰還兵に、当時、平和の気運が高かったアメリカ国内の市民は憎しみの声をぶつけた。
 

罪悪感やPTSDや自分自身も使用兵器の影響で苦しんで居たとしてもだ。
 

兵隊が悪いのか?
彼等はヒトゴロシに成りたくてベトナムに行った訳では無いだろう?

違うと思うのは私だけか?
 

自ら望んで居ない立場に立たされ、しかも、抗え無いモノも在る。
亡くなった先輩が私に繰り返しよく言ってた言葉『世の中って、そういうモノだから』。

生き方が不器用な私を諫める為に何度も言ってくれた。
でも一回もYESが言えない。それは今でも続いている。


争いや事故、災害・人災で孤児になってしまったり子供や家族を失う人、
肉体や精神の一部を失い障害者になる人、
憐れみに可哀想なんて絶対言うものか。

辛いけど、生きねばならない。

憐憫よりもエールを送りたい。
立場が違うからこそ『受け容れ』が成立する。
私が受容される側だから、出来る限り受容したい。

出来るかどうかよりも信じたことだから頑張ってやってみているのだ。

あなたが特別な訓練や稽古、トレーニングを積んでいないを前提に言う。

そんなことをしたら手が痛いとか、

正拳と呼ばれる部位が判らない、そもそも正しい殴り方を知らないで構わない。

 

自分で正しく自分の威力を知っているものは

日常生活の中では少ないのが当たり前だと思っている。

 

それ故に氣力だけで多くの喧嘩は決まると思う。
武道や格闘技経験者が安易に実力行使に出ないのはその理由であり、

逆に、どの程度でどれだけの効果が齎されるかを熟知しているので、
調整が利くと云う考え方も出来る。

 

それでも殴るでは無く、ジャムの瓶の蓋を開けるとか

サッカーボールをある程度離れたゴールネットに向けて思い切り蹴るのだったら

抵抗無く、手加減どころか実力を最大限に出して力を使おうとするだろう。

 

決してその威力は小さいものでは無いと思う。

 

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全力で殴ったり、急所を狙い蹴り込む。

前歯が折れ、口唇は切れ、鼻は変形し血が噴き出す。
そんな目に遭わされてる側が許しを乞い何も悪くなくても謝っている。
内臓の大事な器官が破裂してるかも知れないのに。

歯の治療に大変な高額を請求されるかも知れないのに。

何も悪いことをしていない方だとしたらどうなのか。


恐怖は全ての目を曇らせようとする。


恐怖を振りかざす者には真実で対抗しようとした。

その対抗方法は何だった?

相手が振りかざしたものと何処がどう違う?


恐怖に目を眩ませようとする者。
暴力や恐怖に屈伏させられた事がもし在ったとしても、
その価値観に呑まれることに抗い、
暴力と恐怖を使わないことを貫くのが、それらへの闘いの始まりだと思う。
 

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誰しも同じだろう?

虐められたりするのは厭だ。

 

慰み者にしている者はそれがコミュニケーションだとでも言いた氣だ。


手先で使える力を手に入れて、自信が付いて、

虐められるどころか立場が入れ替わってしまっても、

もう自分では止められ無くなってしまうのだ。

 

赦せないから?

それともまた順番が進み元に戻るのが厭だから?

気付いたら友達は居ない。
腹に決して消えない憎しみを静かに飼ってる者ばかりが

あなたに縛られて居る。

独りぼっちになってしまう事、それは凄く苦しいよ。

 

虐げられて足の下から見た景色を忘れられない、

克服の名を使い、足の下にかつての自分の分身を見た者よりの回答。

 

もう一回、克服すべき自分の弱さと闘っている。