誰々がこんなことをしている。
腹が立つ。
間違っている、正しくない。
そんな氣持ちに産まれてから今日まで、一回や二回は在った筈だ。
果たしてそれをしている人は自分の行く道を遮ってやっているだろうか?
そんな事例は殆ど無い様に思うのだがどうだろうか。
大抵のことは自分と関係無い場所で行われており、
自身が首を突っ込んで文句を言っている。
要は『外野』だ。
そんなに氣に入らないなら自分でやれば良い。
そんなに氣になるのであれば出向いて話に参加すれば良い。
只、関係の無いところでぎゃあぎゃあ文句を言ってるのは
精神衛生上好くないし、なにしろカッコ悪い。
いつまで経っても他人の行動に文句を言うばかりで
自分のことは何一つ進まない。
そうして何もしない侭で人生を終えてしまう。
全く冗談では無い。
しかしそれが当たり前の様になっている氣がしてならない。
別にこんなことをこんな場所で言って啓発しようなんて
烏滸がましいことは思っていない。
自分への確認に語りかけている。
私はこう云う価値観です。
逆に言えば、自分の歩いてる道を
氣に入らないなんてだけの理由で邪魔するのは受け容れられない。
いつの時代、どんな場面でもそう云う存在は居る。
そして大抵、そう云うことをする人間は
自分の輩アピールや、「世の中が許さない」なんて代弁者氣取りだ。
自分がそうならない様に充分に注意すべし。
己への訓戒です。
不満を感じるならば、そうじゃないことを自分でやればそれで良い。
他人のことなんて氣にしている時間は無い。
どうでもいい。好きに生きろ。
但し、邪魔をするならそれは宣戦布告と同義だ。
あなたの世界では違うか?
道を正して諌めてくれなんてあなたには頼んでいないぞ?
あなたが私の人生の補償をしてくれる訳は無いんだからね。
1986年4月26日1時23分、
30年前に海を隔てた遠い国で起こった
発電所の事故発生当時の国内報道のシーンを観ています。
漸くその国の大統領(1990年以前なので当時は書記長)が
公式会見で発表したのは事故発生から18日経ってから。
未曾有の規模の事故から二十数年が経過。
チェルノブイリツアーは2011~2012年頃に解禁。
今やガイガーカウンターを持って観光客が来る。
生物はそこに恒久的に未だ棲み続けることが出来無い。
そこでの観光ツアーの最後には身体をスキャンし
受けた放射能量を測定する"サービス"が有るそうだ。
お祭り氣分に視得てしまった。
いつかは誰しも死ぬし、緩やかな死への恐怖にはみんな鈍感で居たいのだろうか。
そうで無ければ厳し過ぎて心が潰れてしまうのか。
それでは現実に進行している物事は何一つとして解決しないが。
「あの頃とは時代が違う。未然防御策も事故発生時の対策も完璧。」
その言葉を信じるだけの根拠が視得て来ないのだが。
2011年に急にまたTVを視る様に一時的になった。
ネットの普及のお陰で海外の報道機関が独自にやってる見解を見ることも出来る。
ニュースは真偽を含めて膨大に吐き散らかされている。
---------
日本に対して外国人の反応は様々だ。
大急ぎで帰国する人、むしろ逆に来た人、居る人の事情も様々に見受けられる。
大陸から流れてくるPM2.5、蚊が媒介する熱病、隣国のウィルス性の疾患、
どれも確かに健康や生命に影響を及ぼし、"マスク"が日本ではとてもよく売れている。
殴られることへのディフェンスに余念が無く、
殺されることを絵空事と捉えていない人々も多く居るだろうに。
---------
私だって色んな問題や理不尽を感じて生きて来た。
同じ様に多くの喜びも。
嬉しいと流した涙は悲しみの涙とどれくらいの差が有るのだろう。
出来たら「理不尽」だけは次の世代には味わわせず減らしたい。
地上げとか謀殺とか搾取とか見えない階級差とか。
少なくとも親の職業や社会的立場を理由にしたイジメの構造はね。
何でも易しくヌルくじゃないのは百も承知。
「理不尽」は多くを歪ませるんです。
しかしこうも言える。
真実を見つける、見つけ様と考える様になる起爆剤でも在ると。
1989年に起こった広場での民衆の声を体制が威力を以て潰した事件。
こう云う声が有った。
『弾圧が強ければ強い程、真の「民主」主義が叫ばれる』と。
あなたは何とか耐えられるとしてもそうでは無い人も居る。
人が強く在るためにはどうしたら良い?
人が強く為るためにはどうしたら良い?
人のステージを引き上げるのに何が出来る?
---------
敵対して憎しみの応酬になるよりも
その憎しみの原因、
ものの見方と予想する未来への信憑性、
性善説も性悪説のどちらも真実だと思います。
こんなことを私の口から言うのはとても自分でも意外なのですが、
「愛や他者への思い遣り」
これがベースになれば
「自分以外のものに対する理解出来ないと云う恐怖」
が和らぐんじゃ無いかと考え始めています。
恐怖。
畏怖の対象。
理解出来ないもの、見えて来ないもの、何か自分を食おうとしているのでは無いか。
恐怖を感じたときに取るのは大抵この2つ。
「攻撃する」か「軍門に下る」かだ。
敵になるのか、味方に付くか。
ベルリンの壁を壊したものは何?
---------
私は基本的に友好的に接する様に努めて来ました。
私を知ってる人はご存知でしょう?
殴られたって殴り返さないでいたのは、
私を知らないから相手に「恐怖」を抱かせてるんだと考えていたからです。
正体不明なものは「不気味」ですからその気持ちは解る。
自分の方から歩み寄ることは間違いなのだろうか。
そんな人に殆ど出会うことがどんな場面でも限りなく0に近いのだ。
見知らぬ相手の良心に期待して接するのをやめる。
見えない毒を盛る様な真似はやめだ。
氣付きに対してその瞬間までは目を伏せて酔っ払っていたい人たち。
好奇心や知識欲は強い癖に、自分の可能性を放棄してる様に感じる。
そんな人に付き合うのが自分の人生の削り方として疑問に感じたのだ。
友好的にコンタクトを取ってるからって
あなたの子分にしてくれなんて私は一言も言って無い。
---------
人と人が集まって社会が形成される。
1966年(昭和41年)に制定されたこの祝日。
「国」って何だろう。
「国」の必要性は何?
「○○人」っていう必要性や美徳は何だろうね。
何かのブランドにぶら下がるみたいになって
粗悪品なのに看板だけを誇ってる様な人間にはなりたくない。
ついに観光地化したチェルノブイリ原発事故跡―その現在の姿―
http://heaaart.com/post/14891