自己紹介完結!の前に
今日は整形外科の先生に
私の大腿骨の現状、人工股関節手術の説明と入院~退院までの流れを主人と聞いてきた。
主人と病院に行くのは初めてで
少し緊張(笑)
今のままでは良くなることは無いので
手術を勧められた。
んー27歳で人工股関節か~。
これから妊娠、出産、子育てもある。
するなら今のタイミングなのかなー
でも整形の先生にはまだ四回位しか
診察してもらったことが無くて
信頼関係も無いし・・何より
私は少しの事でも質問したり、出来れば人工股関節にはなりたくないから他に方法は無いのか色々聞いたりすると露骨にめんどくさそうな顔するんだよな~(><)
入院~退院までの流れもわたしが質問
しないと話してこなかったし
何のために今日来たんじゃい
今まで病気事でこんなにも悩む事は無くて
色々な治療も、まぁ仕方がないか
って感じで乗り越えてきたけど・・
家庭を持つと全然違うんだな~。。
出来るなら40歳までは粘りたいけど、
寝たきりで過ごすなら可能だよだって
やだ~(笑)
この先生で良いのか
本当に今のタイミングで手術がベストか
セカンドオピニオンもするべきなのかなー
手術にいまいち踏み切れないなー・・
20代で同じ悩みを抱えてる方はどうしてるのかな?
困ったなー
2年生も大詰めで卒業制作、国家試験に向けて猛特訓、猛勉強の毎日でしたI
そのおかげもあり無事合格
気持ちよく卒業できました
21歳
地元に戻りむーみんは小児科なのでこれからは内科へ。
むーみんの先輩でもあり他院の凄腕血液内科の先生の元へ
「怖いで有名な先生だから怒られないように
話してみると、サバサバしているが優しく患者思いだなというのが第一印象。
これが馬せんせーとの出会い。
県外で受けた家族の検査結果を聞きました。
結果は父と母は型が合う。兄と姉は型が合う。
私一人家族の誰とも会わない型でした。。
そして移植の説明を受け
「成功率は40%、一回入院したら二度と
出てこれないかもしれないという覚悟で入院すること。ドナーさんが見つかるのは
奇跡に近いので期待しすぎないこと。君より先に入院しても何年も経っているが
未だにドナーさんが見つからない方もいる。自分は移植治療の経験は
多いが君みたいな若い患者を持つは初めてだから少し自信がない」
普通これを聞いたら、なんだこの医者!!!
となりそうですが私達は素直に話してくれた馬せんせーにとても好感を持ちました
この日から服用していた薬を免疫抑制剤に変え
移植に向けて様々な検査をして万全の体制を整えていきました。
放射線を浴びるので将来妊娠が出来なくなるかもしれないということで
卵子凍結もしました。子宮が腫れたりして結構辛かったです
この時の私はもちろん不安で毎日不安に押しつぶされそうで
友人達は就職し始めたりと皆が輝いて見えて、なんで自分は皆と同じことが
出来ないんだろう
そんな時は
「これを乗り越えたら絶対いいことがある!意味のある事なんだ」
こう自分に言い聞かせてました
入院前日まで仕事や学校もあるのに友人達は時間がある限り側にいてくれました。
そして千羽鶴をくれました。毎日のように遊んでいたので、いつ折ったの!?
と聞いたら皆の家族、友人の友人、専門学校の先生、友人達沢山の人が
協力して折ってくれていた事を聞き涙が止まらず、号泣しました。。。
そして
「全然心配してないから。絶対に大丈夫。待ってるから
と泣きながら私を送り出してくれました(/_;)
皆の応援が力になり入院生活も頑張れました。
入院して5日目ドナーさんが見つかったとの連絡がありました。
馬せんせー曰く
「こんなに早く見つかるなんて奇跡だ。詳しいことは言えないが君と同じような
年代の人だよ」それだけ教えてくれました
次の日からいよいよ無菌室に移り抗がん剤、放射線治療スタート
ものすごい副作用を警戒していましたが、私は嘔吐、下痢、脱毛のみ。
食事もゼリーや病院食も少しなら食せました
これはあまり無い事らしく退院後に研究資料に使う為とインタビューを
受けました(笑)
もちろん毎日体のだるさ、気持ち悪さは絶え間なくありました。
いよいよ移植。
眠くなる薬を入れられてたので起きた時には移植が終わっていましたが、
目覚めてすぐから腰の激痛
今まで動いてなかった骨髄が動きだしたので腰がハンマーで殴られるような
痛みが一日続きました
移植後は経過も良好で3カ月っで退院することが出来ました
この日から毎日ドナーさんの事を思って朝起きたら
「今日もドナーさんが1日を無事に過ごせますように
そして幸せな1日になりますように」とお祈りするのが習慣になりました
その後は定期的に受診し引き続き免疫抑制剤の服用。
髪も完全に抜けてウィッグ生活でした
馬せんせーも私の両親も
「せっかく良くなったんだから早く働きなさい」と(笑)
退院後4カ月位でウィッグを付けたままでもいいとのことで
知り合いの紹介で美容関連の仕事へ就職。
病気のことを理解してくれていたので最初は午前のみ勤務
慣れてきたら時間を伸ばそうと、融通効かせてくれました。
ですが1年経って仕事にも慣れてきたころ
朝起きたら顔がいつもの3倍位に浮腫んで目も
開かないくらいでした
急いで馬せんせーの所へ行くと「ネフローゼ症候群」と診断されました・・・
3カ月の安静入院。。職場は辞めることに
どうやら移植の後遺症らしく、3カ月入院すると数値は収まりましたがいつ再発
してもおかしくないので疲れを溜めないこと。無理をしないこと。
そう釘を刺され退院しました。
体の事を考えあまり動かなくていいような事務の仕事に就きました。
薬の量も今までの4倍に増え1日12錠。。
1年かけて飲み続け、ようやく薬が1日1錠まで減りました
そんな時私の仕事場に偶然むーみんが来ていました。
声を掛けると「なんでここに!?美容の仕事に就くのが夢だったんじゃないの?」と。
事情を説明すると
「これはおじさんの戯言だと思って聞いて。今君はなんでこの仕事をしているんだろう
とか皆より遅れを取っているんじゃないかなんて心配しなくていいんだよ。
君の今していることは必ず将来に繋がることだから。焦らずに頑張るんだよ
とっても素敵な言葉をかけてくれました
なんて素敵なお医者さんなんだろう、むーみんに会えてよかった。
そう心から思えたとと同時に昔の最悪な態度を本当に
謝りたかったです。(笑)
この頃には髪もショート位になってきて通院と薬の服用以外は
普通の生活が送れていました
余談ですが、移植後びっくりしたのはヘモグロビンの数値が
4➡13まで上がったので、何をしても息が上がらないし
体のだるさが全くない!!
嬉しくて階段をダッシュで3往復した日もありました(笑)
今まで相当しんどかったんだなぁとそこで実感しましたね
つづく
高3の秋に学校で倒れてから、卒業後は入院する事になりました。
進学をしたかったという気持ちもあり、進学せずに治療に専念は
皆より遅れを取ると思いすごく寂しかったです![]()
19歳 治療スタート
既に再生不良性貧血中等症以上になっていました。
高校を卒業しすぐ入院しました。ウサギの血清製剤を使った
抗ヒトTリンパ球ウサギ免疫グロブリン治療でした![]()
毎日1回6時間掛けて点滴で入れる、それを5日程度していきました。
それと同時にステロイドの服用が始まりました。。
この薬の副作用が”ムーンフェイス” ”多毛症” ”日光過敏症”などなど。。
日々顔が丸くなり猿になっちゃうんじゃないか位どんどん体毛も濃いくなり
とっても恥ずかしくて・・嫌で嫌でたまりませんでした。
数週間の入院を経て退院し半年以上自宅療養していましたが数値の回復も良くならず![]()
この治療は効果はありませんでした。と主治医から伝えられました。
ここで開き直ったのか?(笑)
いつどうなるか分からないならやりたいことをしよう!!と思い
県外の美容専門学校に進学することを決めました![]()
もちろんムーミンは「何を考えてるんだ?君には驚かされてばっかりだよ」
と言っていましたが私の進学先の近くに知り合いの先生が居たらしく
快く紹介状を書いてくれました![]()
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20歳 進学
まだ継続して薬も飲んでいたので顔は丸いし体毛は濃いしで人の目を
すごく気にしていましたが友達も増え、日々大好きな美容の勉強が出来て
夢もどんどん広がり慣れない一人暮らしでしたが近所に姉と、幼馴染が
住んでいたので2人のサポートもありとても充実していました![]()
通院は欠かさず行っていましたがやはり数値はどんどん悪くなって行き
先生から「君が今の生活を続けていきたいなら生理を止める注射を打ち
月に1回輸血をしないと生活出来ない」と言われ・・とても悩みました。
でもここで諦めたくない!!と思い生理を止める注射を定期的に打ち、
月1で輸血をする生活が始まりました。
輸血をするとすごく楽になり、しばらくは元気に過ごせました。
2年生に進学するとコンテストなども増え日々忙しくなり体力的にきつく
朝起き上がれずに休むことも増えました。
そんな時には輸血。体がしんどいな・・そんな時には輸血。
いつの間にか2週間に1回は輸血。
そう、私の体は輸血依存になっていました。あと半年で卒業をというある日
駅のホームで倒れ、病院に運ばれ先生から
「このままでは輸血無しでは生きられない、休学して骨髄移植をしよう」
家族全員が県外から集まり先生の話を聞き、先生からは
:今すぐにでも骨髄移植が必要
:家族全員の骨髄の型を調べたい
家族はその日のうちにすべての検査をしてくれました。
そして家族での話し合い・・
私の気持ちはただ一つ「卒業するまでは待ってほしい」
そう伝えると「自分で決めたならやり抜け。うになら絶対に大丈夫だから」
こうして卒業後は地元に帰り骨髄移植をすることになりました。
つづく![]()