実家のおじいちゃんのお部屋で
今は物置と化していた部屋を
私達が数ヶ月だけ使うことになり
大掃除していたら

会社をしていたので
まだおじいちゃんの書類やら
ノートやら沢山あるので
母が書類やノートに目を通して
要らないものは捨てたり
私は水回りのお掃除してたら

ちょっとこれ見てー!
と興奮ぎみに母が呼ぶので行くと

おじいちゃんが平成9年~21年まで
書いていた「うにノート」‼️
家族誰もそんなの書いてる事
知らなくてびっくりしたけど

見てみたら私が体調悪くなり
かかりつけ医に行った日からの事が
全て書いてあり、その日から12年間
ほぼ毎日私の事が書いてあった。

検査入院して結果がでない間家族は
どこかの癌なんじゃないか
白血病なんじゃないかなど
心配していた事
毎日父と母が交代で付き添っていた事
私の数値(脈拍から血圧まですべて(笑))や

私が病院食を食べず痩せた事、
どうにか工夫して食べさせて栄養を
つけさせなければと試行錯誤したり
祖母が私の好物を作って
差し入れてくれていたこと

毎朝神仏へお祈りしてから
様々な有名な神社の方角へ向かって
お祈りしていたこと。
全国の祈祷しさんや霊視が出来る人を探して
病気が直るかみてもらっていたこと。

今みたいにインターネットが
普及していないから書店を回って
病気の事を調べたり
何が効くのか調べて
それを取り寄せていたりしたこと。

お見舞いに行って帰るときに
ごめんねおじいちゃん達は帰るけど
すぐお母さんが来るから待っててね
と帰るときに心が苦しかった事。

私が書いた似顔絵
プレゼントした物を包んでいた包装紙
全部ノートに日付と気持ちを書いたものが
張ってあったり

うには敬老の日や誕生日やいつも
プレゼントをくれる。 
だから自分も優しくしてあげると
またうにが自分によくしてくれる。
やっぱり人に良くすると
帰ってくるんだなぁ~とか
おじいちゃんの考えとか
ぜーーーーんぶ書いてあって。

私の一番最初の主治医の先生の名前から
データから院内学級の事など
事細かに全部書いてあって
もちろん退院してからの日々の事や
運動会や家で私が宿題をしてる様子など
日常の事も書いてあったり
他の家族の様子も書いてあったり


小さい頃を回想して
幼稚園の頃行きは母で
帰りのお迎えはおじいちゃんで
バスの集合場所まで毎日迎えにいってたとか

春の天気がいい日に
自転車の前に私を乗せて
家の後ろにある桜の木の下までいったが
自転車ごと倒してしまったと

車高の高い車から降ろす前に私が
勝手に降りて転げてしまったと

それで骨髄にダメージ受けて
病気の原因になったりはしていないかと
自分を責めていたり。

兄と姉は小さい頃は東京で育っていて
祖父母とは離れて暮らしてるので
今の実家で赤ちゃんの頃から
育っているのは私だけで

おじいちゃんは小さい頃から
自分があぐらをかいて
その上にうにを乗せて育てて来たから
勿論全員かわいいが
うには三人の中で一番可愛いく感じる。
溺愛かな?

なんて書いてて本当に
愛だけでは出来ないなと。
感動の言葉だけでは
言い現せれない気持ちになった。


おじいちゃんはトンチもきいてて
家族が涙が出るほど笑える事も
書いてあって、さすがおじいちゃん笑い泣き


彼岸の入りだったし
私達がこの部屋を使うことに
ならなかったら当分お部屋はこのまま
だったと思うし
片付けも全部中身を確認せずに
捨てていたら
きっとこのノートと出会う事も
無かったかもしれない。

お彼岸の前に実家のお墓掃除
をしていた時に祖父の代で立て替えた
立派な墓石を拭きながら
家を、家族をいつも守ってきて
くれた事が本当にありがたくて
お墓掃除しながら涙が出てたのだけど

そんな事もあってこのノートとの
出会いは全ておじいちゃんが
導いてくれた気がした。

これから先楽しいことだけ
ではなくて
色々な事があるとおもうけど
自分が落ち込んだときに
このノートはすごいパワーを
私にくれると思う。


本当におじいちゃんからは
大きな愛を感じて育ってきたけど

亡くなって数年経つ今も
愛を感じることができる私は
世界一幸せな孫だ。


おじいちゃんありがとう
これからもずっと大好きだよ(*^^*)