友人との約束場所へ車を走らせ
向かっていると、、
天気もよく前の景色が本当に綺麗で
すごい綺麗だ~
と思っていたら

車のiPodから聞き覚えのある曲が
ものすごい数の音楽が入ってるので
その曲を聞いたのは何年ぶり位の感じ。
その曲は、放射線治療中に
流して貰っていた曲だった。
一気に色々な記憶がよみがえってきて
曲を聞いたが為に
運転しながら感情が大渋滞起こしてた

来月で移植して8年。
そして放射線治療中に聞いたこの曲。
今の自分は悩みはあるけど
好きなところに行けて
美味しいものが食べれて
悩むこともできて
痛いところや辛い所も無くて
こんなにきれいな景色を
自分の目で見れて
何より生きてる事に
本当に感謝しかないとおもった。
もう、それ以上の言葉はないし
ただただ、今の自分が存在できてる事に
ありがたさしかなかった。
ちっぽけなことで悩んだり
落ち込んだりが多かった最近の自分。
なんかちっさいなー自分!って思えた(笑)
今生きてるだけで充分じゃん

この境地まできた



そして音楽や匂いで昔の記憶がよみがえる
って本当にあるなーって思ったのと
同時に思い出したのが
小児科の頃から幾度となく
腰の骨にぶっとい針さして
骨の髄液を抜く
骨髄検査をされてて
もう、それが初めてが9歳。
局部麻酔で←まず麻酔が激痛
意識があるなか大人に囲まれ
←当時の主治医が教授で
研修医が7人位毎回来てた
それがこわいのなんの。
それは大人でも気絶する人がいると
言われる位相当な痛みでして
どんだけ泣き叫んでも止めて貰えないし
逃げることも出来ないし
暴れて危ないから全身麻酔で
してもらったこともあったけど
途中で目が覚めて激痛で泣き叫ぶ
ということがあり、それが
相当なトラウマになってて。
もちろん大人になっても気になる事が
あれば骨髄検査はされるわけで
最後に骨髄検査したのが18?で
22歳頃にまたすることになり
私は18歳で小児科を卒業して
22歳の時は血液内科。
もう子供じゃないんだから
あんなに泣き叫ぶなんて出来ない。
いざ、消毒液を塗られた途端に
痛いーーーーーーーーーー!!!!
と大声で叫んでしまった(笑)
トラウマが勝ってるから
もう、なにされても痛いの。
消毒液だろうが、これから起こることは
痛いと頭が認識してるから
全てが痛いの。(笑)
先生に、まだ消毒液しかしとらんわ!
といわれ助手さんに笑われ
看護士さんが手を握りにくる始末。
私の先生はすごく上手で
髄液を抜くときは腰が抜けるー!
っておもうけど、幼少期ほどの痛みはなく
あれ?こんなもんだっけ?

となった(笑)
看護士さんに聞くと
先生は上手だから他の経験者さんも
ほとんど痛くないって言ってるの~
といってたので、間違いない。
しばらく骨髄検査してないけど
もっと簡単に痛みなく
骨髄が取れる技術が出来たらいいな

というまとまりのない内容だったけど
今日も明日も毎日
命をくださったドナーさんと
家族友人先生達に感謝して
毎日を大切に生きていこう


