このブログは田舎に住む27歳主婦”うに”の日々の生活と
 
闘病の記録をゆる~く時々熱く。書きます手
 
まずは病歴日本国旗
 
宝石緑9歳 再生不良性貧血発病
 
風邪をひき病院を受診した際数値の異常が見られ骨髄検査にて発覚。
2週間の入院をしその後は投薬もなく2カ月に1回の定期健診のみ。
この時に何度もした骨髄検査が痛くて怖くて今でもトラウマです(ノ_・。)

9歳~17歳まではヘモグロビンが7、8をウロウロしていました。
学生生活ではソフトテニス部に入り毎日部活に明け暮れていました。
やはり数値が数値なので疲れやすく走ったりすると頭が痛くなったり
頭がぼーっとしたりはありましたが、小さいころからそれが当たり前で
当時はなんとも思っていませんでした( ゚-゚)
 
9歳からの主治医”むーみん”曰く
「君は毎日高山トレーニングをしているようなもんだよ」
毎日酸素が体に十分行き渡らない状態で日々生活しているから
体が慣れているんだと。。なるほど。
ちなみに当時の私はむーみんの事が大嫌いでしたショックDASH!
自分にとって痛い事をする人、辛いことをいってくる人という
認識がありました。
 
宝石緑18歳 悪化
 
学校の階段を上るだけで頭痛立ちくらみがするようになり定期健診にてヘモグロビンが3まで下がっている事が発覚。
もちろん血小板などの数値も低く、血がどの位で止まるか?の検査結果は「無限に止まらない」でした(笑)叫び
この時から2週間に1回の受診になり2週間に1回授業を休むというのは辛かったし大好きな体育も見学しがちになり、部活も辞めました。
そして受診の度にむーみんから「今すぐ入院したほうがいい」と言われていました。
でも高校は絶対に卒業したい!といってむーみんに反抗して受診の度にむーみんを睨み付けていました・・
それがわたしにできる小さな抵抗でした笑い泣き笑い泣き
この頃は仲のいい数人にしか病気のことを話していなかったけど、私があまりにも普通
に生活しているので「そうなんだね~ニコニコ」位のノリでしたね(笑)
普通に学生生活をENJOYしたいという気持ちが強くて
学級委員長や体育祭実行委員なども率先してしたり、毎日学校帰りに
友達と遊んで、友達が私を病人扱いしないのが心地よかったりウシシ
 
そしてむーみんへの最大の反抗「バイト」をこの頃から始めました(笑)
むーみんに伝えると「今すぐやめなさい!何を考えてるんだ!」
ごもっとも叫び
でも初めてのバイトが楽しくてしばらく続けましたねウシシ

 
その頃から並行して卒業後に入院して治療に専念した方がいいと言う話も出てきて18歳の私には受け止めきれず・・
忘れたくて沢山遊んで沢山バイトを入れていました
体はもちろんヒーヒーでした。
でも今を楽しみたいみんなと同じ事をしたいという気持ちの方が強かった。
周りは進路や就職の話で持ちきりなのに話に入れない自分がいやで
皆に後れを取るのがすごくこわかったです。
 
体は正直なので高3の秋に学校でとうとう倒れてしまい、自分の中でも
決意を決めました。
 
 
つづく乙女のトキメキ