まずは御一読いただこう

結論からいうと、ヤンヤンは経済学の土台がなく、一知半解の状態にあることには疑いの余地がなさそうだ
以下、上記ブログより引用しつつ、ヤンヤンの経済学に対する理解不足を明らかにしよう


上記の引用は、端的にいえば赤線部分に主張が集約されるでしょう。
 つまり「お金はプールにあって、限定されたものだ。だから政府が使えば、民間が使えなくなる」という考え方、つまり外生的貨幣供給説です。


小幡さんは財政の制約をないとしていることからして、ここでは貨幣の供給それ自体を問題視していない
この時点で、ヤンヤンの批判は的外れである
これはクラウディングアウト、また実物的なことであって、供給制約は免れ得ないと懸念を示しているわけだから、官民どちらが有益なのかと問うているわけである


現代貨幣理論(MMT)では「インフレ制約以外で、財政政策はいくらでもできる」とします。注意が必要ですが「やらなければならない」ではない、ということ。


小幡さんは、財政の制約がないものとしているのだから、的外れである


さて、インフレになるかどうか? の観測もせずに「単年度で1000兆円を支出する」と、MMTerの誰が主張したのか?
 観測しながら、調整するに決まっているでしょうに。


先のことなどわからない、ということ
予算は事前に決めるのだが


民主主義で財政政策が、コントロールできなくなる(主流の間違い)がここで、出てきました。ブキャナンの「赤字の民主主義」理論の、変形版です。


ケインズより派生した亜流なのであれば、MMTは短期的な不況に対する理論であろう
これは完全雇用を達成するまでの処方箋として一定のコンセンサスを得ているが、財政赤字という制約を撤廃するとゴカイのようなバカ論(3000兆給付)に繋がっていくハメになる
MMTは一応のところ制約を設けてはいるが、結果の平等を実現しない限り、相対的な貧しさ、つまり格差は依然として残るので、ヤンヤンのように貧しさを訴える人々は一定の割合で残る
民主主義の国においては、財政赤字という制約を排除した国ほど、新たなインフレ率という制約を、こうした貧しさと票を天秤にかける人々により、保身的な為政者ほど、撤廃する誘因を排除することが難しくなるだろう


これは有名なアダム・スミスの「見えざる手」です。
 つまり「政府が財政出動をすると、最適な資源配分にならない」「市場こそが、効率的に資源配分が可能なのだから、市場に全て任せておけ」というわけ。


現代では、そのような背景にあらず、市場の失敗というものは広く認知されている
そうした望まぬ不況を打破するために、総需要管理政策が存在している
ケインズに批判的であったシュンペーターも、無意味な不況による損失は、財政政策によるコストを上回るとも考えられるために、有効な手法であると肯定的であった
ヤンヤンの議論は古すぎるのである


どうも主流派経済学者という生き物によれば、「日本のデフレは、市場の結果だから放置しておけ」が最適解であるそうです


デフレは不都合である
財政政策がなんの意味もないのであれば、すでに教科書から削除されているだろう
ヤンヤンが言っているような、ハイエクかケインズか?などという時代ではない
実証をもとに、使えるものは使え、捨てるものは捨てろ、そういう時代である


主流派経済学の世界観とは、一言でいえば「物々交換経済学」です。「え? 本当? そんなワケないんじゃないの?」とビックリされたでしょうか?


ありえないですね


なぜなら、アダム・スミス以来の主流派経済学は「貨幣は商品の1つである」という価値観に基づき、理論を組み立ててきたからです。


一般均衡では金融の不確実性がないが、それをもってして主流批判をすることはできない
なぜなら、貨幣は貨幣論として別に論じているからだ
カールメンガーは、完成をみることは叶わなかったにしても、信用貨幣の裏付けとその不確実性について論じている
そしてそれは現代でも同様で多少の進歩はあるかもしれないが、日本の似非MMT論者の諸君は、部分的にその議論より後退している
なぜなら、その部分を理論体系に組み込むと、制約が需給によるインフレ率だけに絞れなくなるからだ


金融も「商品と商品の取引にしか過ぎない」ので、金融市場も、実体市場も同一市場となる


ワルラス法則は、どこかの市場で需要不足があると、どこかの市場にて需要超過があるとみるので、その指摘は的外れである
たとえば貨幣に対する需要が高く、財に対する需要が供給を下回っていれば、デフレになる
この貨幣に対する需要を減らすには、貨幣の供給を増やしてあげることが必要になる
これを金融政策に求めたのが、いわゆるリフレーションである
金利低下の余地の乏しさや、構造的な要因で恩恵が限定的であるが、マクロとしては一定の成果があったのは事実だ
いずれにせよ、金融政策も財政政策も総需要を増やすのだから、同様の効果はある
そうであるのだから、我々からすれば、ヤンヤンはヤンヤン自身をひっぱたいているようにしか映らないのだ
ヤンヤンがこのような不可解な行動をとってしまうのは、経済学への理解が乏しすぎることが原因であろう


貨幣も商品である=商品を生産すればするほど、貨幣も増える=需要があることになる


供給するだけ需要があるのであれば、物価水準が変わることなどない
それが貨幣であっても同様であるから、金利も変動することがない
こんな頓珍漢なことを経済学では教えない
教えていないのだから、批判の矛先がどこに向いているのかがわからない
つまりヤンヤンの思い込みである


ミンスキーが予測したとおり、グロバーリズムの黄金時代(2002年~2007年)は、投資家たちの「チキンレース」だったのです。
 こうして「異端のまま葬り去られ、忘れ去られたミンスキーと、理論的根拠であったケインズ学派」が復活の兆しを見せます。


だから、通貨の信認という概念がある
MMTは、この通貨の信認を微税にだけ求め、これを論拠とすることで、物価水準の変動を実物要因に限定し、財政ファイナンスを正当化する
どうもMMTは資本移動が起こらないことになっているフシがあるのだが、いかに安全資産としての円であっても、底蓋を抜けば通貨暴落を招き、悪性インフレを招くことになろう
主流はこのような前提にある(ファンダメンタルズを無視している)MMTをそら認めるわけにはいかない
そうであるのだがヤンヤンは、一般均衡を持ち出して、主流が金融市場のファンダメンタルズを無視しているというのだが、信奉するMMTこそがファンダメンタルズを軽視していたという始末である
なにをどうしたらこうなるのか
ヤンヤンが経済学を知らずに経済学を批判しているのは明らかなので、以後、恥の上塗りを続けぬよう経済学の理解を深めることをオススメしたい


実際に、海外の主流派経済学者たちは、積極財政を肯定し始めています。理論より、現実を選択したのです。


そもそも誰も否定してません
経済学の教科書にも、総需要管理政策はある
意味がないのであれば、とっくに削除されているはず
否定しているのは、過ぎたる支出であって、小幡さんのいうクラウディングアウトのことだ
政府支出で民間投資が押し退けらるということは、配分が変わるだろう?
素人には、この区別がつかない


しかし見てきたように、リーマン・ショックによって主流派経済学は、衝撃を受けました。そうしてクルーグマンやサマーズのように「理論より現実を優先した」のです。


金融政策も財政政策も、総需要管理政策
どちらも実証されているから、教科書に載ってるわけ
つまりヤンヤンの言ってることは、意味不明


この程度のことも「判断できない」のが日本の主流派経済学者だったりします。当然、消費税増税は経済に、深刻な影響を与えます。が……彼らにはそれが、理解できないのです


ラッファー曲線というのもあるが、まあ二面性があるわけだけど、恒常的に所得を減らすのだから、それが一定の水準を下回るのであれば消費が減る可能性を否定するものではない
ただし、増税が単なる所得移転作業で、そのぶん歳出が増えているようであれば、必ずしも総需要が減るともいえない
この理解も、キチンと経済学を学んでもらう必要がある
こうした基礎基本を土台にしなければ、本当の姿など見えてこないものだ

経済学に無知であることは罪ではないが、経済学を知らぬまま経済を語ることは罪である


頼むから、ちゃんと勉強してくれよ