10才の時、成城に引越しました。

 成城学園のすぐ横に「ベルダ」という雑貨屋さんがありました。

 当時、まだ「雑貨屋」という言葉はなかったのでしょうか。それとも子供だった私が知らなかっただけかもしれませんが、私たちは「かわいいもの屋さん」と呼んでいました。

 店内は、かわいい、お人形やお菓子ぬいぐるみ、輸入品もサンリオ商品も、店いっぱいで、今の若い方には珍しくないもないでしょうが、当時(もう40年以上昔のことです)の私はすっかり夢中になりました。

 引越前の住所もさほど遠くなく、以前の友だちも私の家によく遊びに来ていました。

 私はこの友人、新しいクラスメイトたち、母と、一人きりでも、ベルダにお百度を踏んだものです。

 引越前からの友人も、ベルダを訪れる目的だけで成城に出掛けていた、と後に聞きました。

 

 誕生日のすぐ後の引越だったので、母が好きなものをプレゼントしてあげる、と言い、一緒にこのベルダに来たのです。

 店の奥、カウンターの上の棚にあったお人形が今も忘れられません。

 大きさは60cmほど、髪型は、金褐色の裾が軽く内側に向いたショートボブでした。印象的だったのは目で、グラスアイではなく、明るい茶色の、描いた目でした。かなりくっきりと描いてありましたが、それがなんとも魅力的だったのです。ショートヘアと相俟って少年のような、りりしい、気品のある表情をしていました。素材はなんだったのでしょうか。当時の私に知識がなかったため、今でも分かりません。

 ドレスも、いかにも「お人形」といった可愛らしいボネやドレスではなく、水兵帽とセーラー襟のドレスだったと思います。ドレスの色は、水兵服らしい白や紺ではなく、朽葉色か、裏葉色だったと記憶しています。(遠い昔のことなので、印象しか残っていないのです。)

 値段は一万円でした。

 昭和五十年当時、一万円というのは、子供のために、教材とか書籍ならともかく、玩具にかけるような額ではなかったのです。

 ですが、母も気に入ったのでしょうか、「買ってあげようか」と言いました。しかし私はさすがに遠慮し、諦めました。

 その後、すぐそのお人形はお店からいなくなってしまったように思います。

 今もそのお人形が恋しいのは、手の届かなかった幻のお人形だったからでしょう。

 

 ベルダで出会い、今も一緒にいるのはこのクララです。中学生の頃、私のお小遣いで(若干無理しましたが、)入手しました。

 ミニチュアの椅子、テーブルもこのベルダで手に入れたものです。

 実は、私は、この子のことをしまいこんで忘れておりました。

 母が「こんなにかわいい子がいるよ」と片づけものの際、見つけてくれました。

 

 なんて可哀想なことをしたのか、と悔やんだのももう遠い昔のこと、母も鬼籍に入って久しく、昨年十三回忌の法要を営みました。

 幻のお人形も、今、どこで、誰と一緒にいるのでしょうか。当時の友人たちともすっかり疎遠になり、消息を知る術もありません。

 クララだけが私と一緒にいて、昔話に耳を傾けてくれています。