文化衝突、だったのかな。
ひさびさに、書いてみる。
『トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか
』という一文が、あちこちのブログで話題になっている……らしい。
この文章の内容そのものも、もちろん、面白いのだが。
半歩離れて、ネットでのコンセンサス形成という見方をすると、EBに夢中だった頃に悩んだ、いろいろなことを思い出してしまう。
上記の文中の「文化衝突」を、EBの「連去YES文化圏」と「NO文化圏」や、「国移動YES文化圏」と「NO文化圏」の衝突に読み替えてみる、という意味だ。
それぞれの文化圏の内部には、似た考え方の"仲間"が存在し(まぁ、1人1文化圏というツワモノもいないではなかったが…)、その文化圏が成立してきた経緯というものがある。経緯があるから自分が正しく見えるし、仲間が賛同してくれるから自分を疑わなくなる。そうなると、他文化圏に対して、
「ケシカラン」
「間違ッテル」
となりがちなのだが。相手文化圏も同様に他文化圏に対して、
「ケシカラン」
「間違ッテル」
と言ってたりする。
私は根本的には“流浪の民”で、《北斗》では大人国と学生国を渡り歩いていたし(大人で学生国を経験している人は(とくに初期は)少なかった)、《竜》でも連去Yes国とNo国、若総帥国と大人総帥国、あちこちを知っている。
《GR》でもあちこち行った。一度、「大人国」というのに行ってみたら国電が「あだると」だった。そりゃ意味をまちがえて飛び込んだワタシが悪いんで。大人~しくしてますたww…とか。
ようするに、いろんなところに潜り込んで、「ココ、どんな国?(゚∀゚)」。……一度くらい「スパイ」呼ばわりで叩きだされてもオカシクはないのだが。意外に、そういうことはなかった。
今おもえば、下手にいろんな国を見ただけに、
「ケシカラン」
「間違ッテル」
と、叱られても、
「ごめんなさい」
と素直に詫びずに、
「他の国ではちゃうこと言ってまっせ」
と思っちゃったのかもしれない。
売られた喧嘩を、せっせと買った。喧嘩を買っておいて、きちんとした論旨を展開する論敵に関しては、けっこうリスペクトしていたりもした。
そのかわり……、整合性を欠いた相手には──、まぁ、うん、なんというかwwww
自分が信じていることが、自分だけが信じていることなのか、「文化圏のなか」で信じられているのか、それともそのEBの「コンセンサス」なのか。それを見極めることは、(ある文化圏のなかだけで動いている場合には)そうそう簡単ではない。
あれが、「たかがゲーム」の「全電論争ショー」であったというのなら。(他人の喧嘩ほど面白いものはない)
そこに整合性を求めた私も、じつは、「自分だけが信じていること」に沿って動いていたのかもしれない。
そう思っても、みるのである。