ロヴァニオンにて
私の《GR-EB》の現所属国を、ロヴァニオンという。まだ国民が少ないうちに入国し、総帥から、隊を作るよう依頼された。隊の名をどうしましょう、と、問い返したところ、
「隊をイシリアン、要塞をエネドワイス」
との答えである。
ロヴァニオン、イシリアン、エネドワイス。
音の響きのきれいさに、検索をかけたところ、『指輪物語』の固有名詞だと、わかった。
私はもともとSFの人間で、ファンタジーについては、SFの仲間から教わった。『指輪』は、私の“ファンタジーの師匠”たちにとっては基礎文献すぎて、「新しい」話題にならず、すっぽり読まずに来てしまった。『ロード・オブ・ザ・リング』も、なんとはなしに、見ないまま。
「この機会に、見るか…」
この機会もどの機会もあったものではない。ただのこじつけである。
今週末は、《北斗EB》は転生直後のパラ上げ。気力補充のアイテムを消費しつつ、長時間プレイだ。そう思って、DVDを3枚、まとめて借りた。
で。PCの横においた卓上TVで、『ロード・オブ・ザ・リング』を鑑賞しつつ、《GR》《北斗》2窓並べて、パラ上げ。《竜》は幸か不幸か覚醒が続き、気まぐれに、聖者と隼を切り替えながら、廃墟通いなので、精神がすぐ尽きる。
《北斗》では、弱パラ一人参戦のところを『くもり空』に襲われた時、TVのほうでは、ローハンの角笛城防衛戦をやっていたりして、苦笑する。
原作のファンからは批判がないわけではないようだが。ファンタジー映画としては、素晴らしい出来だと思う。俳優も特撮部分も、美しくあるべきシーンは美しく、不気味なものは不気味に、そのコントラストが、「中つ国」の世界を作りあげていた。
けれど、結局…ロヴァニオンもイシリアンもエネドワイスも、映画にはでてこなかったような気がする。ネット上でぽろぽろ調べた限りでは、原作のほうが、映画より、一回り世界が大きいような印象だ。
《GR》はサイトデザインからアイコンまで、ダークなファンタジーの雰囲気でまとめられたEB。ここで『ロヴァニオン』国に入っていなければ、また、当分『ロード・オブ・ザ・リング』を見そびれていたに違いない。
「隊をイシリアン、要塞をエネドワイス」
との答えである。
ロヴァニオン、イシリアン、エネドワイス。
音の響きのきれいさに、検索をかけたところ、『指輪物語』の固有名詞だと、わかった。
私はもともとSFの人間で、ファンタジーについては、SFの仲間から教わった。『指輪』は、私の“ファンタジーの師匠”たちにとっては基礎文献すぎて、「新しい」話題にならず、すっぽり読まずに来てしまった。『ロード・オブ・ザ・リング』も、なんとはなしに、見ないまま。
「この機会に、見るか…」
この機会もどの機会もあったものではない。ただのこじつけである。
今週末は、《北斗EB》は転生直後のパラ上げ。気力補充のアイテムを消費しつつ、長時間プレイだ。そう思って、DVDを3枚、まとめて借りた。
で。PCの横においた卓上TVで、『ロード・オブ・ザ・リング』を鑑賞しつつ、《GR》《北斗》2窓並べて、パラ上げ。《竜》は幸か不幸か覚醒が続き、気まぐれに、聖者と隼を切り替えながら、廃墟通いなので、精神がすぐ尽きる。
《北斗》では、弱パラ一人参戦のところを『くもり空』に襲われた時、TVのほうでは、ローハンの角笛城防衛戦をやっていたりして、苦笑する。
原作のファンからは批判がないわけではないようだが。ファンタジー映画としては、素晴らしい出来だと思う。俳優も特撮部分も、美しくあるべきシーンは美しく、不気味なものは不気味に、そのコントラストが、「中つ国」の世界を作りあげていた。
けれど、結局…ロヴァニオンもイシリアンもエネドワイスも、映画にはでてこなかったような気がする。ネット上でぽろぽろ調べた限りでは、原作のほうが、映画より、一回り世界が大きいような印象だ。
《GR》はサイトデザインからアイコンまで、ダークなファンタジーの雰囲気でまとめられたEB。ここで『ロヴァニオン』国に入っていなければ、また、当分『ロード・オブ・ザ・リング』を見そびれていたに違いない。