千寿です。
アダムの亡きパパは、
イラストレーター&フィルムビジネスで活躍するアーティストでした。
1950年代には、しばらく銀座に住んで居たこともあります。
私は、アダムのパパと会ったことがありません。
なぜなら、パパは、
アダムが20代の時に亡くなってしまったからです。

アダムから教えてもらったパパとのエピソードに、
こんな話がありました。
彼が2才の頃の話です。
当時は、マンハッタン、イーストビレッジに自宅兼パパのスタジオがありました。
ある朝、
パパが2週間もかけて手掛けて来たアート作品に、
アダムが!!!
絵の具をぺったぺった、

もう、
めちゃくちゃにつけてしまったそうなんです。

彼としては、お父さんのお手伝いと思ってやったそうなんですが、、、
何日もかけて仕上げに入っていた作品が2才時のアダムによってめちゃくちゃに!
作品を前にしばし呆然と立ち尽くすパパ。


しかし、絵の具まみれのアダムを見るなり、
パパの顔が笑顔になり、
最後は大笑いしていたそうです。


次の日からは、アダム専用のキャンバスを与えられ、
パパの隣のアトリエで絵を描き始めました。
アダムが言ってました。
「もし、あの時に、パパに怒られていたら、
今、こうやって絵を描いてないかもしれないな~」
彼が、今、こうやって絵を描いて暮らして行けるのも、
ご両親や周りの人たちのお陰です。
この話を思い出す度、
子どもたちにかける言葉の大切さを
思い知らされるのです。