先日、レジで支払う時の会話です。
レジのおねえさま
「あら、今日はお母様と一緒ではないんですねー。お近くにお母様が住んでいらっしゃっていいですねー♫」
こういう声かけから始まる会話は、とても親近感のあるやりとりです。
顔なじみのレジの方ということもあり、わたしも和みます。
完全にわたしは「こうである」と思い込んでいらっしゃいました。
〈母は近くに住んでおりません、同居です〉
それがいけない、とかいう話ではありませんよ
昔からわたしという人は、その方の思い描く「あんな感じ」と作り上げられるようです。
そういえば、
「君は表と裏の顔があるのがいけない!!!」と叩かれたことがありましたわ(笑)
そのときは、洪水のように泣いたけど、今になれば「それが何か?ごめんあそばせ〜」程度になるわたしがいます。
わたしには表も裏もなく、わたしはどこから見てもわたしなわけです。
当時のその方がご自分の解釈で都合のいいように、表のわたしを作り上げているだけなんですよね。
裏の顔のわたしに「裏切られた!」とも言われたなぁ(笑)
裏のわたし、というか、わたし丸ごとをご存じなかったということではないでしょうか。
丸ごとわかるようなおつきあいもしていなかったですしね。
このような言葉を発する傾向がある方は、ご自身が生きやすくするための常識を盾にした保身であることが垣間見れたりもします。
これって、8色の色相環から生まれた【にじたま】を人で例えたときにも同じことが言えるのです。
人間関係のギクシャク感や悩みになる元は、その対象者の一面だけを見ているから生まれてくるのではないでしょうか。
人は360度、いや無限の角度から見てみましょう。
見られる癖をつけられるのが【にじたま】です。