神話はウソ
っと受取り、
一緒にいた子に、
神話はウソって聞こえたんだけど、
聞こえた?っと聞いたら、
聞こえてないけど、
前日神楽見に行かなくていい。って、
そーゆーことなのかもよ。
っと言われ、
妙に納得したんです。

前日の夜に、
みんなで神楽を観に行こうか。って話になったんですけど、
なんか話が進まなくて、
行かなくていいって事にしよう。っで落ち着いたんです。笑


神楽を観たらきっと、
神話を信じていたと思います。笑
私単純なんで。笑


高千穂の最後の最後に、神様からのコンタクトが届きました。

高千穂神社にいるのは、
うずめちゃんです。

高千穂から横浜に帰ってきて、
数日後、
新橋にある烏森神社におつかいにいきました。

御祭神は、うずめちゃんです。

そして、この神社で、シャンシャン、
巫鈴っていうのかな。

その鈴守りを買ってっと言われ、購入してきました。

どこに行く時も持って行くように。
おつかいの時は、シャンシャンしてきて!っと言われ、
カバンに入れて持ち歩くようになりました。


その数日後、
クライアントさんが東京に遊びにくるとの事で、
神社に行きたいっとの事で、
一緒のおつかいに行く事になりました。
日枝神社、愛宕神社、芝大神宮におつかいに行きました。

そして、おつかい後、一緒に預言カフェに行きました。

キリスト教がやっているカフェです。
友達に誘われて初めて行ったのは2018年。
今考えれば、この仕事を始めるキッカケになっていたっと思います。

今回が2回目の預言カフェでした。

そしてこの時の預言が、神様のおつかいの事を言っているっと当時は受け取っていました。
が、今聞いてみると、
これから私がしようとしている事を伝えているっとも感じます。

その内容は、下に添付しておきます。


そして、12月中旬。
今後は、奈良におつかいに行きがてら、
奈良に住んでいたクライアントさんと会う約束をしていました。
その子には、
麻美さん、頭の上に輪っかありますね!っと言われたのを
ブログか書きながら思い出しました。

今思えば、天使の頭のあるアレだったんだと思います。笑

みんな色々教えてくれてました。
ありがたい!

そして、奈良から帰る時に、京都にある鞍馬寺におつかいがありました。
京都のおつかいがあるから、奈良に行く流れだった気がします。

早朝に京都に向かい、
鞍馬寺に向かい、貴船神社におつかいを済ませ、
なぜか京都タワーに行き、
おつかい終了のサインをもらい
新幹線に乗り横浜に帰りました。

そしてこれを機に呼び出しがピタリっと止まりました。

止まった事で、何が起きているか理解も出来ず。
ただ呼び出しがかかるのを待っている状態でした。

それから呼び出しがかかったのは、
3月になってからでした。


後で分かったのは、
京都から帰ってきた数日後が冬至だった事と、
冬至から春分までは、冬休み。
神は山から降りて来れないって、
翌年かなんかに言われたんですが。笑

ひとまず、怒涛の3ヶ月の神様のおつかいが冬休みになりました。





預言カフェの内容は、こちら。
主は言われます。
我が愛する娘よ。
私はあなたを愛していますっと主は言われます。
あの、すごいお気に入りのかわいい娘っというか、
目に入れても痛くないアナタは大切な大切な娘ですよ。っと主は言われます。
アナタはどこにも居ないんですよ。っと主は言われます。
だからもっと自分を大事にしてください。っと主は言われます。
本当に私にとってかけがえのない娘。
でも自分は本当に必要かな、いらないかなってすごいアナタは苦しんできたけれども、
娘よ、アナタが大切だからこそ、私がこの天と地をつくって、
そしてアナタをこの時代に産んだ。
だからアナタには、すごい大きな、壮大な計画がある。
アナタはそのような娘です。っと主は言われます。
交わりの中にあっても私がアナタの砦です。
アナタの盾です。っと主は言われます。
やったつもりもない事を人に言われてしまって、
え?私違うのに。っと言えずに終わる。
でも娘よ。私はアナタをちゃんと見ています。
報いは私からのモノです。っと主は言われます。
だからあの時こー言えばよかった。あー言えばよかった。っとお家の中でぐるぐるしちゃうというか、
それさせもちゃんと手放して、私はアナタに良き報いをし、そしてアナタの流してきたその涙が無駄ではない
そして、私とアナタの信頼関係があるからこそ、あっいろんな事毎日あるけどでも大丈夫。ってアナタがドンドン道を進む、
寂しさ、辛さがアナタの足を引っ張る事が出来ず、イヤイヤそんなモノいりませんよ。っと蹴散らして、
ドンドン進む、何かそのように私は、アナタの明るさを美しさを清らかさを愛して、
沢山の家族の前にアナタを立てていきます。っと主は言われます。
小川の流れが最初はチョロチョロっと細い。
だけれども、段々に豊かな水量を増しくわえて行くように、娘よアナタの始まりが小さいっと思っている。
でもそれは、期待するものであって下さい。っと主は言われます。
ダムにすごいお水がいっぱい溜まって、一気に水がぶあっと放流されるみたいに、
すごい飢え乾いている何か土地に状況にアナタが流してきたその涙っというか辛さが、
何か喜びの涙っとなって、泉っとなって解き放たれる。
だから娘よ。私が奇跡をアナタに与えます。っと主は言われます。
私は奇跡の神です。私には不可能な事は何もない。っと主は言われます。
現実の中で、これは不可能だとアナタが考えて、アレもない、コレもナイっと思ってきたでしょう。
でも娘よ。私はこの天と地をつくった真の神であって、
私の現実、私が与えるその力強さの中で、まっただ中で、アナタがこんなに自分変わるのか。っと思うほどに変化する
何か新しい喜びになる、アナタはちゃんといい意味で、試練を超えるっというか、
この自分自身でも超えられない絶対に無理っと思ってものを易々っと何か楽々っと超えていくそんな事が出来ます。っと主は言われます。
何か新しい働きの場所を何かアナタに与えていきます。っと主は言われます。
だから目的があります。
お金が先か目の欲、肉の欲、暮らしの自慢。この世の富が、名誉が、アナタを縛ってやっぱりコレがなければダメじゃないか。っと
でも娘よ。
神のみ国において、本当に神の国とその人々を第一に求めなさい。っというように
アナタが私の栄光を表す本当にお気にの大切な娘っとして、
私の力強さをあいあわわしていくその様なものである。っと主は言われます。
喜びなさい。歌いなさい。私は本当にアナタを喜んでいますよ。
我が愛する娘よ。私はアナタと共にある。っ主は言われます。