さて、ようやく社会的にも問題視されるようになったエホバの証人の子供達に対する、宗教の強制問題ですが・・・

 

まず、日本というのは、宗教に対して特殊な環境であることを理解すべきだと思います。

 

街角で「あなたは神を信じていますか?」と聞いても、ほとんどの人は「特定の神を信じてはいない」あるいは「特別な宗教をやっていない」と答えるでしょう。

 

神は信じない、いないと思う、という意見もあるでしょう。

 

ところが、日本中には神社仏閣があちこちに存在し、お正月にはせっせと初詣、年中行事はかかさず(ほとんど宗教がらみ)、お祭りには熱心(地元の神様を祭っている)という実情があります。

 

 

つまり、日常に溶け込み過ぎて気が付いていませんが、日本人は宗教熱心な国民です。

 

消極的ではありますが、全国民、年中宗教行事を欠かさず行う宗教国家、それが日本です。

 

ところが、この「日常に溶け込む宗教」ではなく、別の宗教、いわゆる新興宗教や、キリスト教などの「外国の宗教」、特別に熱心に活動する系の宗教に属したり、あるいは自分は神を信じていると公言したりすると、とたんに「変な宗教に入ったひと」、というレッテルを張ってきます。

 

このような特殊な宗教観がある日本で、エホバの証人はまさに「変な宗教」の一員であり、自分達とは異質な存在と見なすようになります。

 

で! このような「変な宗教」をやっている親をもつ宗教2世の子供達が、その変な宗教を強制されて自由を奪われている、どうにかしなくては!ということで、最近ようやく社会が動き出したのですが・・・

 

TVで問題が扱われた際に、よく出る解決策というのは、

 

「社会が受け皿となって、このような子供達に寄り添い、相談にのれるようにすべき」

 

という趣旨が多い気がします。

 

でも、わたしの意見は少し違います。

 

この問題、核心は「変な宗教」にあるのでは無い、と思います。

 

じゃあどこに?

 

それは、ズバリ「親」そのものだと思います。

 

「え?親が変な宗教やってるから問題なんでしょ?だったら宗教が問題なんじゃない?」

 

と思うかも知れません。

 

でも、自分が実際にエホバの証人の宗教2世だった経験から言いますが、問題は「宗教」ではなく「親そのもの」にあります。

 

宗教は宗教です。全国民、意識せずとも皆なんらかの宗教に属し、その行事を行い、生活を左右されています。お祭り強制参加の地方など、いくらでもあります。

 

 

問題は「宗教」ではなく、親です。断言します。

 

ですから、寄り添うとか相談に乗る、程度のことで子供達をエホバの証人宗教2世問題から救い出すことは全く不可能だと思います。何の解決にもなりません。

 

長くなりそうなので、続きは次回に。