今回は貴重な資料を掲載されているほほこさんをリブログです。
いつも心に刺さる記事を書いてくださり、ありがとうございます。


さて、これまで事実上野放しにされてきたJW組織による「ムチ(暴力で教理を叩き込む児童虐待)」推奨問題ですが・・・

以前は「懲らしめのむち棒」と称して、「体罰」を推奨していたJW組織
その根拠としていたのはこの聖句です。
箴言 22:15) 15 愚かさが少年の心につながれている。懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す。

最近は「むち棒」とは「言葉の指導」だとかなんとか誤魔化していますが、まあ、重なる2つの世代などという言い訳を思いつく組織だけに、逃げ口上を考えるのは朝飯前ですね。

今、ムチをされて育った日本のJW2世の多くは、40代から60代に達していると思われます。


じゃあ、そろそろ後期高齢になろうかというJW1世の親たちは、この「ムチ」問題をどうとらえているのか?

ハッキリいうと

「無かったことにしたい」

これに尽きると思います。

逆をいえば、自分達が子供達を散々虐待してきたことをハッキリ自覚している、ということです。でも、自分の責任ではないとも思っています。

ここが大いなる矛盾をはらんでいる部分で、実際にムチをやったのは間違いなく自分達だが、それは組織の指導(会衆内での同調圧力を含む)があったからであって、決して自分の意志ではない、そう言いたいのでしょう。

で、言い訳として「仕方なかった」という言葉が出てくるのです。

「仕方がない」?????

まるで他人事のような言い訳です。

全く自らの過ちに向き合おうとしていません。

それどころか、最近「も塔」の研究記事などで強調されているのは「信者同士、仲良くやりましょう」的な、まるで仲良しクラブ的な内容ばかり。

すっかり平和ボケした状態の会衆の中でぬくぬくと過ごしたい、このまま何事も無く余生を送りたい、そんなJW1世たちの思いがひしひしと伝わってきます。

今まではなんとかこの世の終わり(ハルマゲドン)を生き残って楽園に行くことが人生をかけた目標だった、だから「救う」ために子供にムチをして教理を叩き込んだ。

でも、その子供達もいつの間にか白髪になって、自分はもうそろそろ老い先短いのが見えてきた・・・

最近の「も塔」は、以前の様に終わりだの滅びだの言わなくなり、自分もいつまで生きられるかわからない。じゃあ、せめてこの安定した環境だけは守りたい・・・

あの元気だったころの「戦闘種族JW」はすっかり影をひそめ、今や惰性で集会や奉仕を「老後の楽しみ」的に続ける1世達。

今度は、その「安寧の地」を破壊するものを「敵」とみなすようになっています。

その一つが今社会現象になっている宗教2世問題。JWは大きくクローズアップされようとしています。

わたしは知らない、そんなつもりはない、仕方なかった、悪いとは思っているけど、あなたたちの為を思ってやったのよ・・・

「仕方なかった」・・・この言い訳、まさに、JW組織の責任逃れ体質そのままです。