さて、久しぶりに書きますが、マイドラさんのテーマへの考察ということで。

 

いつも良い記事をありがとうございます。

 

さて、今週のも塔で「長老の頭の権」と「父親の頭の権」が比較されていました。

 

頭の権に関するこの手の解釈は、わたしの知る限り70年代の「も塔」でも扱われており、結論から言うと「解釈に変更は無い」ということになります。

 

1.長老の頭の権は、成員に対して限定的であり、主に「裁く」権威に限られる。

2.父親の頭の権は、家を出た子供たちには及ばない。

 

この2点は常に変わっていません。

 

他の重要な教理はコロコロ変わるというのに、こんなどうでもいいことに関しては「岩」の様に不変なんですよね(笑)

 

とはいうものの、マイドラさんがおっしゃる通り『ん…?!』と感じるのは何故か、考えてみました。

 

まず、昨今のコロナ騒動で組織が盛んに言及しているのが

 

「それぞれの家庭の方針はその家族の頭が決めることであり、他人(長老も含む)は、決定に対してとやかく言うべきではない」

 

という方針があります。

 

それと同時に、コロナが始まってからというもの、統治体は「上位の権威に従え」との大合唱をしてきました。

 

つい先日までは機関銃を手にした治安部隊が家に押し入って逮捕しにくる過激な挿絵で信者を煽っていたJW組織でしたが、コロナになった途端手のひらを返したようにこの態度。びっくり

 

「おいおい、治安部隊も上位の権威が用いる機関だろ?自分達を監禁したり殺害しようとしたりする敵だって言っていた同じ上位の権威に対し、今度は従えだの敬意を払えだの言うのかい?お前ら、変わり身が早すぎるだろ!」

そう思ったのはわたしだけではないはず。

 

そして、統治体(つまりはJW組織中枢)は、自分達にコロナ感染拡大の責任は全くありませんよ、というスタンス。

 

それをハッキリさせる為でしょうか、出された指示が、「物事の決定に関する全責任はそれぞれの家族の頭にあり」という方針です。

 

統治体は組織を通して「指示」を出し、最終的には会衆の長老がそれを成員に「指示」することにより個々の成員を「統治」してきました。

 

ところが、児童への性的虐待では、成員のやらかしたことで組織が訴えられ、コロナになってからは、他の宗教の幹部が信者たちの感染拡大の責任を問われるのを見るにあたり、「命令系統の切り離し」の傾向を明確にしてきました。

 

つまり、JW信者の行動は信者個人個人が全責任を負うモノであって、統治体はあくまで信者が聖書を学び実践するための助けを与えているにすぎない、という、「命令系統の切り離し」です。

 

しかし、皆さん知っての通り、こんな指示は「外交上の詭弁」にすぎず、実際には

 

統治体→各国の支部委員→巡回監督→会衆の長老

 

この経路で信者に命令が下され、命令に従わない者には「粛清」が待っています。

 

と、いうことで、今回感じた違和感というのは、組織の実態と、対外的に書かれた「も塔」の記事の間に存在する「現実との乖離」が原因であり、コロナ蔓延の責任を一切かぶりたくない統治体の「逃げの態度」がこの記事を書く動機だった、という事だと思います。