今回も素晴らしい記事を書いてくださった、きんたやさんをリブログです。
いつもありがとうございます!
で。
コメントしようかと思いましたが、長くなるのでこちらで私の意見を書かせていただきます。
多くの方がコメントしてくださっているように、言いたいことは
「おめーら、統治体に絶対服従だぞ、ゴルア!」
ってことですね、要するに(笑)
記事でご指摘のとおり、「微」調整にも程があるのですが、問題は
何で今更こんな解釈を発表するのか?
何故以前の解釈ではダメなのか?
という点ですね。
以前の解釈では、
その人の本当の心の状態は、神やキリストでないと見分けられない。
だから、我々は相手がどうあれ、最後までひたすら音信を宣べ伝える・・・
今現在「反抗的」な態度をとっている人でも、わずかな希望が残されているように思えました。
しかし、今回の解釈の変更では、
今どんな態度をとっているかが「判決」に影響する、
つまり、
「今」の態度が「証拠として採用される」という点をことさら強調しています。
そして、肝心なのはその「証拠」は人間でも判断がつくような材料である、と言っている点です。
つまり、組織について何を語るのか、統治体にどんな態度をとるのか、伝道に参加しているか、が証拠になるという事です。
以前の解釈は「心」という「目に見えない部分」が裁きの対象でしたが、今回の解釈では違います。
「言葉と態度」
人間でも裁きの根拠として採用できるようになりました。
で!
これは一般向けというより、信者に向けての「脅し」としか言いようがありません。
しかも、熱心な信者ではなく、反抗的な信者を対象にしているのは明らかです。
組織に反抗的、伝道に不活発、統治体に対して批判的。
そんな手におえない信者(あれ?これを読んでいるJWやJW2なんか、まさにそうだね!(笑))に対する「あてつけ」としか言いようがない。
昨今、ネットでの組織の真相に関する暴露記事や、児童虐待に対する裁判の様子を知って、どんどん離反する信者が増えているのでしょうね。
ここらでひとつ、喝!をいれようってことですかね?
これが今回の「微」調整の「微」の部分の真相だと思います。
みなさんはどう思いますか?
脅してでも組織にとどまらせよう、言うことを聞かせようというやり方。
聖書の神様が本当にいるなら、JW組織こそ神を冒涜していると思いませんか?