JW組織は、高等教育を否定し、そんな無駄なことをしないで奉仕しろといいます。
そのくせ、自分たちの教理を裏付けるために、権威として考古学者や科学者の言葉を盛んに引用します。
自分たち独自の教理が、歴史的にも科学的にも裏打ちされたものであり、「世の」権威者も認めている、との印象を与えるのが目的です。
しかし!!
JWは昔から、姑息な手段で「権威者」である学者たちの言葉を用いてきました。
やり方はこうです。
権威者の著書の一部だけを抜粋。都合の悪い部分は削除。
いかにも自分たちの教理を支持しているかのような印象を与える。
今回、その一つを取り上げます。
この本です。
その第5章に「あなたはだれを友にしますか」という章がありますが、
その中にエレミヤが実在の人物である証拠として、ある考古学者が発見した粘土印章を紹介してます。
こんな記事です。
なんの疑いも抱いていない、普通の読者なら、
「ああ、この考古学者はエルサレムの滅びた年をBC607年と言ってますね。
やっぱり終わりの日はJWの言うとおり、BC607年から2520年後の1914年で間違いないんだ!」
そう思って当然です。
なぜなら、そう「誤解」するよう、この記事は書かれているからです。
でも、実際はどうでしょうか。
この考古学者のエイラット・マザール氏は実際には発掘調査について、こう言っています。
「ダビデの宮殿が消えた原因は何ですか?発掘調査中に手がかりを見つけましたか?
破壊の決定的な証拠はまだありません。多分将来の掘り出し物。しかし、これは紀元前586年のバビロニア人によるエルサレムの大破壊の一部であると私は信じています。この破壊の証拠は他にもたくさんあります。
あなたや他の研究者が近隣地域で発見した破壊の最も初期の証拠のいくつかは何でしたか?
1980年代初頭、私の指導者であるイーガルシャイロ教授は、バーンドルームとバブルの家として知られている場所を含む地域を発掘しました。破壊を証言する地層で、彼は闘争がそこで起こったことを示す鏃のあるこの時代の典型的な陶器を見つけました。これは、紀元前586年のバビロニア人によるエルサレムの破壊を非常に明らかにしています。
そして、それ以来、侵入と破壊の証拠がさらに明らかになりましたね。
はい。神殿の丘の南にあるオーヘルの発掘調査で、紀元前586年頃に大火事で破壊されたと思われる王室の建造物を発見しました。発掘調査中、私たちの手は灰で黒くなっていました。そして聖書は、バビロニア人が家に火を放ったと言っています。」
いかがですか?
この学者は繰り返し、エルサレムの滅びはBC586年だと、ハッキリ言っています!
なのに、JW執筆者は、バッサリこの発言を削除し、そしてBC607と書き加えています。
まさに、権威だけを「横取り」し、言ってもいないことを書きくわえています!
あたかもこの考古学者がエルサレムの滅びがBC607年であることを支持しているかのような印象をあたえようとしています。
これは詐欺行為、そして考古学への冒涜、さらに、ウソによって信者を騙すという明らかな意思があることを示すものではありませんか?
これだけでもJWが如何に信用できないか、明確ではありませんか?
イエスも「小さなことに不忠実なものは多くのことにも不忠実」だと言いませんでしたか?
証拠は他にもたくさんありますが、聡明な人にはこれひとつでも十分だと思います。
JWの皆さん、もはやエルサレムの滅びがBC607年だろうが、BC586年だろうが、問題はそこではなくなりましたね?
明らかに真実を隠ぺいして信者を騙している、これが問題の本質です!!
これを知ったからには、残りの人生をどう生きるか、ご自分に責任がありますよ?
特に1世の皆さんは2世を教育した道義的な責任もあるので、覚悟してください。
聖書考古学者、エイラット・マザール近影
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