きんたやさんの記事をリブログです。
きんたやさん、いつも素晴らしい記事をありがとうございます。
そういえば「プロパガンダ」という言葉、一時期「も塔」などで多用していましたね。
目ざめよ!では2000年、も塔では2017年に多用してたみたい。
昔の翻訳は「宣伝」だったんですね。
ラザフォードの「宣伝し・・・」の講演とゴッツかぶるんですケド?まあ単語が違うんでしょうね。
もっと適切な訳語なかったんですかね?(笑)
さて、このポスターもそうですが、以前どこかで見た北朝鮮の本屋さんの写真がマンマ昔のJW書籍が並んでいるように見えて驚いた記憶があります。
(緑や黄色の片表紙の本ばかり)
北朝鮮は楽園だという印象を与えようとする「プロパガンダ」ポスターも、
やはり一様にJWの楽園挿絵とそっくりですよね。
これらの事実は、この両者には共通項があるってことを如実に物語っていますね。
「ウソを、感情に訴えて信じさせる」
JWではこれを「信仰」と呼ばせます。
信仰を抱けるんだからこれは真理、確実な将来、だという論理ですね。
で、聖書的な裏付けとしてヘブライ11:1を頻繁に引用する。
11 信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です。
じゃあ、なぜJWはこの聖句を多用したがるのか?
つまりは事実や史実に基づく確たる証拠がないからにすぎないからです。
古代エルサレムが滅びた年代もそうですが、
間違った事実の上に築かれた「信仰」では、聖書のいうところの「保証された期待」の
保証の部分だけが抜け落ちた期待にすぎない。
でもやっぱり人間って、望み通りの夢みたいな将来を約束されると(宝くじもまさにそうですが)期待しちゃうんですよね~。
そうは言っても、宝くじは誰かが当たる。事実、過去に当選した人が何人もいる。
でも、楽園や永遠の命や復活は未だかつて一度も、ただのひとりにも実現していないってことを忘れちゃいけないよ、JW諸氏。
ラザロは復活したって、聖書に書いてありますよって言いますか?
でも、また死にましたよね?ここは認めますね?
つまりは、「寿命まで生きてよかったね」ってことですか?
じゃあ、寿命ってなんですか?
いやいや、イエスより後に死んで天へ行ける機会を与えるためだって?
そんなこと、聖書のどこに書いてありますか?
保証の部分だけが抜け落ちた期待ですよ~。
良く考えましょうね。
何度もいいますが、1世の皆さんは自己責任、2世の皆さんは勇気を出して行動してください。