さて、zoom集会になってからというもの、ギリッギリまで普段着で過ごし、しかもどこへも出なくてよくなったのでホントに気が楽になりましたね~。遅刻とか言われないし。
普通の人にとって、仕事や学校を終えて家に帰り、夕食を済ませた後っていうのは、一家団らんの時間であって、よほど何か用事でもなければ出かけたりしないですよね。
まあ、ジムへ通うとか、塾へいくと言う人もいるでしょうけど、それはあくまで趣味とか、お客としての立場であって、「公の場」への外出ではないですよね。
それに引き替え、JWときたら、集会へ行くのにネクタイ絞めて、フォーマルな格好して出かける、しかも人前でそれなりに緊張を強いられる講話や寸劇をする・・・
今更思うんですが、これって、異常なストレスじゃないですか?
大体、なんで一般信者が集会の話を用意しなければならなんですか?
こういうものは、有給の「僧職者」がやればいいことであって、一般信者がやることじゃないでしょ?普通。
例えていうなら、ジムへいったら「今日はあなたがインストラクター役ね」と言われるとか、塾へいったら「今日はあなたが講師役でお願い」って言われるようなものじゃないですか。
おかしいと思わないんでしょうかね?
だから、寄付は何のためにするの?という純粋な疑問が湧いてきます。
有給の僧職者がいないのなら、何故寄付が必要なんでしょう?
世界的な業って一体なんだ?世界的?いや、それぞれが自分たちの寄付で、まず地元をお世話していただければ十分です。そのあと、ちょっとだけ外にも目をむけるんじゃだめなんですか?
巨額の寄付が「世界的」に必要なのは一体なぜですか?
で、ここで今回のお題でもある、今週の週中の集会の話なんですが、最初の講話「話すときは私が一緒にいる」という主題について考えたいと思います。
この集会でJW組織が言いたいこと、それは要するに「あんたも人前でちゃんと牧師のように話せ」とか、「宣教師のように伝道しろ」ということ、そして極めつけは、ちゃんと挿絵まで用意して、「裁判にj掛けられても組織の為に立派に法廷闘争しろ」ということらしい。
まてまて!そりゃ韓国では徴兵制度があるので、少し前までは兵役を拒否した兄弟たちは、有罪として刑務所に入れられていたのは事実です。
でも、判決はすでに決まっていたので、ハッキリいって一般的な裁判じゃありません。そもそも法廷闘争なんて1ミリもできません。
第一、これホントに「良心的兵役拒否」なんでしょうかね?
輸血拒否と同じで、排斥が怖くてやってるってことはないのですか?
兵役につけば自動的に排斥なんでしょ?良心とかじゃなくて。
そもそも、どこぞの世界に「構成員がいつでも裁判に掛けられても立派に法廷闘争ができるように」って備えさせる組織があるんだ?
武闘派の政治団体か、ヤクザかマフィアぐらいだろ?
JW信者たちは、それこそ子供の頃から、自分が裁判にかけられ、投獄され最悪殺されるという可能性を考えさせられます。極めて異常なことではありませんか?子供がですよ?
いったいどんだけ反社会的な組織なんだ?
で、そんなときでも神がそばにいて、何を話すべきかを教えてくださるので信仰を持てと。
じゃあ、聞きますが、あの王立委員会に呼び出された統治体のひと、全然納得するような答えを出せなかったのは何故ですか?
児童虐待に関するJW組織の責任について、なにも潔白を証明できなかったのは何故?
核心をつく質問になると、とたんに質問をはぐらかして、まったく要点をずらした答えに終始して、逆に心象を悪くしていたのは何故?
それはもちろん、「話すときは私が一緒にいないから」じゃありませんかね?
統治体は自分たちが裁判にかけられるなんて状況は夢にも思わないでしょう。
たしかに昔、世界大戦のころには刑務所に入れられた時がありました。
でも、話を聞くと、そうとうユルい環境で、半分遊びみたいな生活だったそうじゃないですか。
経験で話される、諸外国の極限状態におかれた兄弟たちとは雲泥の差です。
日本でも明石順三氏が投獄され、極限状態に置かれました。
でも、肝心の本部の人間は悠々自適の生活、あげくには「上位の権威」の勧めにしたがってアメリカ国旗を掲げての大会を開くありさま。
そりゃ明石氏もブチ切れるって。
ぜーんぜん「体を張って王国の為に闘って」なんぞいませんでした。
その姿勢は脈々と受け継がれ、現統治体の方々もコロナ渦にあっては二言目には「上位の権威に従え」の大合唱。
よほど法廷に引き出されるのが怖いんでしょう。
何故か。
それはもちろん、「話すときは私が一緒にいないから」じゃありませんかね?