今回も情報をありがとうございます。アンパンマンさん。

さて、上層部もやることないので、こんな手紙しか書けないのでしょうが、それにしても信者にかろうじて残された「世の人」とのはかない人間関係まで、徹底的に破壊しつくすJWの精神にはホトホトあきれますね。

 

まず、みんなが困っているこの危機的な状況を「利用」して、自分たちの信者を増やそうっていう精神が、そもそも「人間として」間違っています。

各地では多くのボランティアの方々が、本当に無私の気持ちで人の助けになろう、人々の役に立とう、元気を取り戻してもらおうと、様々な活動をしておられます。

 

自分の商売の一環の場合もあれば、全くのボランティアで何かをする人もいます。

助けることによって、自分の喜びにもつながる、それは健全な精神です。

お互いに元気になれます。

 

でも、JWのこの手紙では、疎遠になった人に連絡をする動機は、あくまで「信者獲得」という最終目標が大前提です。

純粋にその人を気遣って連絡をする、とかではありません。

 

ここに、JWの精神が如何に腐っているかがあらわれています。

 

本当に人を気遣うのであれば、単に連絡して話を聞いてあげるとか、なにか力になれないか申し出るとか、それだけでいいはずです。それこそ博愛的クリスチャンの姿ではありませんか?

 

聖書レッスンにつなげるという「動機」を隠して連絡するということは、全くの偽善に他なりません。結局、組織拡大に貢献するのが最終目標であって、真にその人を助けたいという愛の動機から出た行為ではないからです。

 

つまりは、自分の「話」(つまり聖書レッスンの押し付け)を聞く人、聞かない人と、2つに分けることをし、聖書が禁じているはずの「人を裁く」ことを行っていることになります。

聞く人にはさらに見かけ上の親切を示し、聞かない人にはそれ以上連絡せずバッサリ関係を切る。

いえ、むしろ、なんとなくつながっていたはずの人間関係も、向こうからバッサリ切られるのがオチってもんです。こんな人の弱みにつけ込んで自分達の信者獲得に利用する宗教なんてお断りだって思うのが普通ですから。

 

どうしてJWってこうなんでしょうね?

 

別に手当たり次第に信者にしなくてもいいじゃんか!無私の気持ちでただ親切をすることがそんなに悪いことなのか?

JWは常に「この機会を利用して聖書について話さなくちゃ!」っていう圧力を感じて生活するハメになっています。

純粋に親切を示しても、「実は私は聖書を学んでいて、それで・・・・」ってなるわけです。

まともな人間関係を築けるわけない。

相手も「結局それが動機か」って、あきれて警戒するはずです。

 

だいたい、読まれる経験もばかみたいです。

 

連絡先を祈って見直したら、「信者でない」知人がさらに7人見つかった?

 

痴呆ですか?

 

祈らないと、この人がJWかどうか見分けがつかないんですか?いや、逆に祈るとJWかどうか名前から判定できるようになるんですか?すごい「霊感」ですね!

さらに祈ったら、次の日また数件みつかるんですよね?どんだけ「もうろく」されているんですか?

 

ニュースでもやってましたが、外出せずひきこもっていると物忘れが激しくなるという、脳機能の低下があるそうじゃないですか。たぶん、それですよ。

 

コロナでいっぱいいっぱいなのに、これ以上やっかいを持ち込まないでください、JWの皆さん。

それと上層部!これから児童虐待の裁判で湯水のように金が出ていくぞ!大会ホール売却やKH売却程度じゃ追いつかないぞ。通常の寄付も劇的に減っているだろうしな。

自分達は信者の寄付というユーフラテス川のうえに乗っかって安泰だと思ったら大間違いだ。

やがてその水が枯れて、荒れ廃れて裸になって肉を食い尽くされないよう注意しろよ!