タージ・マハルの衛兵
@新国立劇場
作 ラジヴ・ジョゼフ
翻訳 小田島創志
演出 小川絵梨子
キャスト
フマーユーン...成河
バーブル...亀田佳明
テレビカメラ🎥がかなりの規模で両脇に設置。
きっと例の深夜枠でしょう。楽しみ✨
今日は八列目の真ん中寄り。
金曜日ソワレ客層、男性、学生、俳優さん多い。
客席の集中力が過去最高だった。
すぐ前の席におかけんさんが。
おかけんさんと言えば(小川絵梨子さん演出)「スポケーンの左手」で成河さんと共演してから成河さんの舞台結構観に来てる。
あ、亀ちゃんとおかけんさんも岸リトラル親子だったね。そりゃ観に来るね。
ラジヴさん戯曲の前回「バクダッド動物園のベンガルタイガー」の時も客席でおかけんさんと一緒だった。(誰かとスポケーンの話していた)
スポケーンの左手、ベンガルタイガー、タージ・マハルと切れた手に縁があるなと思っちゃった。
先日のボリューミーシアタートークを聴いたので、違った視点でみれたかな。
翻訳小田島Jr.三代目が
「バーブルの両手から剣が離れないのは実は何かを手離したくない象徴としていたり、フマーユーンの目が見えるはずなのに見えないのは、見たくない現実を表していたり」と先日、補足してくださったのでそう考えながら観てみた。
そう考えたら、あの血だらけな雑巾で足を拭き続けるフマーユーンは、解決策なくぐるぐる堂々巡りする状況を意味するのかな。(逆効果)
三代目「バーブルは「美」にこだわりながら造形美🏰にこだわり、フマーはタージ・マハルを敬いながらも自然美(月🌕鳥🐦)にこだわる」と話していたので、今日聴く台詞も鮮明にイマジネーション出来る。
回を追うごとに、二人の息や間合いが進化していくので。
スプラッターや、あの顛末以外は、テンポが良い漫才に見える。
本気でM1出てほしい。
フマーユーンのへっぴり腰も中々あそこまで様になる人、居ないよね。
成河さんの出演歴代キャラクターはだいたい、静と動だと「動」だし、悪と正義だと「悪」だし、受ける攻められるだと「攻める」だし。
今回のフマーユーンは、静、正義、受ける側でしょ。
簡単なようで難しい気がする。
ペアスケートやペアバレエでもくるくる回ったり、跳んだり、目立つのは華やかな女子だけど。
下で支えて回して受けるのは縁の下の力持ち男子みたいな、、、
サブでもかなり目立つキャラクターが多かった成河さんが、バーブルを諌める正義のフマーユーンを演じる。その抑え加減が見せ所。
二人芝居、実力と実力のぶつかり合いと言えども、ぶつかってばかりでは成立しない。
漫才だって両つっこみはあまり居ないのだから。
この意味を分かってくれるひと、いるかな。
居たらお茶したいなぁ。🍛でも。
「いつか普通の人役も観たいです」とむちゃぶりを手紙に書いたこともあるけど。
普通の人を演じるのってすごく難しいものね。
フマーユーンは、いま現在の世の中なら。
たくさんいる。
上司、取引先に逆らえずに、従順に従う社員、バイト。
上の権力に忖度する公務員。
、、、って思いました。
バーブルは、あのひどい仕事をやったトラウマに悩まされ、「美は死んだ」と言うけど。
それは造形美🏰であって自然の美は死んでいない。
ただいまの地球温暖化の世界の国ごとの考えの温度差を考えると。
自然美が死ぬ日もいつか来るよね。
ラジヴさんはそこを考えて書いたかは分からないけど(ロビーでお話した時に聞けば良かった)
シアタートークで演出えりこさんが
「ラストはノスタルジーにならないように心がけた」と話していたので。
「え、私の解釈はすごくノスタルジーだったけど」と混乱したけど。
今日のフマーユーン成河さんは変化していた。
変化して見えた。
回想から意識が現実に引き戻された時の虚無感、10年の月日、安泰だけど刺激がない日々。
ボロボロになった軍服を見つめるフマーユーン。
(収録🎥だから細かく意識したのかな)
一瞬、ノスタルジックに行きかけたけど。
戻ってきてわが道を選んだ。
この変わらぬ日々を生きよう。
それが俺が選んだ道。
それが大体の人の人生。
それも貫けば立派。
大体、日本の史実エンターテイメントを作ると、革命を起こして散っていったヒーローが主役だけど。
革命を起こさず、自分は自分、負け犬ヒーロー的なキャラクターを思いつくラジヴさんがすごいな。
今後の作品もシリーズ化して欲しい。
役者としての成河さんはどっちなんだろう。
優等生なフマーユーンタイプなのか。
アウトローな自由を求めるバーブルタイプなのか。