シナリオの才能はなかったサッチーですが、素晴らしい戯曲を見極める才能はあると自賛したい。シナリオを習った意義がある。

シャンハイムーン
@世田谷パブリックシアター 3/11(日)まで
(兵庫、新潟、滋賀、愛知、石川、公演あり)
作 井上ひさし
演出 栗山民也
企画制作 こまつ座
世田谷パブリックシアター
出演
野村萬斎 広末涼子 鷲尾真知子
土屋佑壱 山崎一 辻萬長

こまつ座さん舞台は、数回拝見していて、こまつ座ファンの方に比べたら少ないですが、本当に井上ひさしさんの作品は渾身の作でよく出来ています。舞台版「寅さん」でしょうか。
泣き笑い。欠陥だらけのキャラクターをとても魅力的に描いています。

中国の小説家で思想家でもある魯迅の「魯迅日記」を元に蒋介石率いる国民党の弾圧からの四回の逃避行を、井上ひさしさんが上海での1ヶ月のエピソードにまとめ戯曲にしました。
魯迅、今まで名前くらいしか知らなかった。
劇中で役者さんが朗読する魯迅の「想像力」という詞が、官能的だけど直球で心を打たれる。
「想像力」
若い娘を見るとすぐ白い二の腕を想像し
すぐひきしまったおなかを想像し
すぐもりあがった胸を想像し
すぐまぶしい裸体を想像し
すぐ生殖器を想像し
当然性行為を想像し
ついに私生児を想像する
われわれの想像力はこの点だけはこんなに躍進する
この力をほかへ向けられないものか
この力をほかへ
もしわたしが男子で
若い頃にこんな詩に巡りあっていたら
共感して魯迅に心酔したかもしれない。
若い頃、日本に留学し、仙台の医学専門学校で医学を学んだけど、授業中にスライドで映された「日本軍にスパイ容疑で捕まった中国人が処刑されるのを、同胞中国人群衆が薄笑いしながら見物する」姿を目の当たりにしてショックを受け。
医学を捨て、中国の精神改造のために文学の道を選び、日本人からも、改革を目論む中国の若者たちからも深く共感され愛される反面、絶えず暗殺や、健康の不安に追われる。
魯迅役の萬斎さんは、飄々としながらも、極度の医者嫌いで、実はひどい自分勝手。
魯迅を敬い愛する第2夫人と共に懸命にかくまい、健康を気遣う日本人たちの苦肉の策で、笑気ガス麻酔にかかったのが引き金になって人物誤認症になってしまう。
魯迅が今まで関わり、罪悪感をもつ人物と仲間を取り違えて、いろんな告白をするんだけど。
ほんとに愛する第2夫人広平(こうへい)=広末涼子さんをよりによって、母が選び政略結婚した北京の正妻と取り違えて、謝り倒すとき、最初は笑えるけど、途中からあまりにひどいゲスぶりに正妻を敵視していた広平も、正妻に同情してひくくらい。
その告白の構成が、井上ひさしさん、なんと巧いことか。
正妻のことをかなり悪く思い、毒づいていた広平が、一気に共感していく過程の広末さんと栗山さん演出がすごい。泣く。
まったくの異国の他人なのに、上海の日本人居留民団からも敵視されながらも魯迅の才能に惹かれ、懸命に尽くし、かくまう内山書店夫妻、須藤医師、奥田歯医者がみんなが主人公なくらい素晴らしい。
特に須藤医師=山崎一さんの
「日本人にもいろいろいる。中国人にもいろいろいる。日本人は、とか、中国人は、とか、ものごとすべて一般化して見る見方には賛成出来んぞ」
と言うセリフ。
これはいろんなものや、人、国に置き換えられる。
日本人だって、中国人を好きで優しい人もいれば、中国人だって、日本人を好きで優しいひともいる。その逆も。
須藤医師と魯迅が、精神の健康が大事か、身体の健康が大事か、大激論するシーンも見せ場だ。
噂によると井上ひさしさんも、作品を産み出す時にかなり苦労して家族に当たったりして、父、夫としては理想的ではなかったらしい。
魯迅が、人物誤認症で、正妻に謝るシーンが、井上ひさしさんとつい、重なって見えてしまうのは私だけだろうか。
魯迅萬斎さんの葛藤。
ほかの六人の献身ぶり。
チームワークが絶妙。
差別なく、人種を越えていくのは難しいことだけれど。
実際にこんな素晴らしいひとたちがいたことを
生のお芝居でみせてくれてありがとう。
SACHIYO@SachiyoMeHer
難産の末の戯曲だろうけど井上ひさしさん、天才だな。 身体がなくなっても、作品がのこるって、生きているのと一緒だね。
2018年02月25日 19:46
魯迅も、井上ひさしさんも。
病弱で、今はこの世に居ないけれど。
産み出した作品がこうやってずっと万人を感動させていること、、、
「生きている」
って、そういう意味だね。
ぜひ、シャンハイムーンで。
生きた魯迅と井上ひさしを観てください。