ウェブはバカと暇人のもの
インターネットの普及により、生活は劇的に便利になり、これまで考えられなかった迅速な情報のやりとりが大量に行われ、世界に散らばっていた知識がネットでつながって集合知となって理想的なネット社会が実現していく…。そんな明るい未来の話を語るネット関連書は実際、少なくありません。梅田望夫氏の「ウェブ進化論」などはその代表格でしょう。このブログで取り上げたクラウドコンピューティング関連の本やiPhoneを褒めちぎる本などもその類書ですね。
しかし集合知を生み出すのがネットの力であるなら、「集合愚」を発生させるのもネットの必然というもの。2ちゃんねるでの「祭り」や著名人ブログの炎上騒ぎなどは「集合愚」の暴走の典型といえるでしょう。
ネットの世界が社会の縮図であるならば、当然頭のいい人もいればバカもいる。しかもバカの方が圧倒的に多く、犯罪を犯す人間もリアル社会と同程度の割合で存在する。今の社会がこの程度だというのに、ネットだけが理想郷などというのは幻想も甚だしい。そんなネットの抱えるもう一方の一面から現実を直視すべきと言うのが、きょう取り上げる一冊「ウェブはバカと暇人のもの」です。
ネットの普及によって、世の中における情報のやりとりの「量」と「速さ」が劇的に変わった一方で、それを扱う人間の質は別段進化していないというのが著者の主張。ネットの登場により従来メディアの地位が脅かされ、「テレビの危機」などと頻繁に書かれている一方で、実際、ネットでちまたの話題となっているネタのほどんどは「テレビで話題になった話」が元。誰もが情報発信できるブログが浸透したと言っても、芸能人のブログを含め、書いてあることはというと、昨日食べたご飯がおいしかっただの、あの映画が面白かった(文字通り面白かったと書くだけ。特に解説など書くわけではない)など、他人にとっては全くどうでもいい話の山であるというのが、筆者が見渡してきたweb上の情報の実態だと結論づけます。
実際、数年前の「あるある大事典Ⅱ」の納豆騒動や、去年の夏頃のバナナダイエット騒動などを見るにつけ、人は決してネットのおかげで賢くなったわけではなく、「量」と「速さ」が負のパワーとなって破壊的状況を生み出すことがあるのだと認識させられます。昨年秋に起きた世界的経済危機の進み方も、このネットの持つ「量」と「速さ」の両輪が最悪な形でフル回転した例といえるでしょう。ネットがなければ、景気後退のスピードもこれほど速くなることはなく、旧態依然の日本政府でももう少しまともな対応が出来たかも知れませんからね。
そんなネットの現状を踏まえ、筆者は「web2.0」なる幻想を描く前に、「web1.374」くらいのネットの書き込みに対する耐性をつけ、スルーできる力を身につけるレベルになれと指摘します。
ネットに過度の幻想を抱くなと言う、著者の主張は確かに真実の一面。私の身近でも、ネットで起こっていることなど欠片も知らないまま幸せに生活している人間がいますし、「これからはネットの時代だ!」と必要以上に騒ぐのは、実はただ世間で浮いてるだけの浮世離れの世迷い言かも知れません。
しかし、こと若い世代、ネットが当たり前の中で育ちつつあるデジタルネイティブたちにとっては「バカと暇人のもの」を超えた存在になり得るのではないかと、これもある意味幻想かも知れませんが疑ってみておく必要があると思います。それは、テレビが当たり前の世界で育った人間に、「1億総白痴化時代」とレッテルを貼った評論家の言葉を凌駕する文化を生んでいった課程に似ているかも知れません。
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