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天気が良い日は外に出かけたくなる季節になった。

なーんにも考えずに、太陽の下で芝生の上に寝転がって、

お腹が空いたら持ち寄ったお昼ご飯を食べて、フリスビーでもして、疲れたらまたゴロンと昼寝。


何かを追い求めることで、人は切磋琢磨し強く賢くなってゆく。

努力に伴うようにして、道は切り開け、新しいことに出会い続ける。

そうして人はどんどん磨かれてゆくのだろう。

けれど、どんなに努力しても、太陽の下で生まれる笑顔にはきっとなんにもかなわない。

本能だけで生きられる世の中なんて怖すぎるけど、
日々の生活で積み重なってゆくストレスを、子供のように無垢なままで発散させる瞬間ってのは

とても大事なことのように思う。



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桜には不思議な力があるらしい

ラジオの向こうで熱心に桜のパワーについて語るDJ。

それほどまでなのか?と思い、試してみた。


桜の持つ儚さを感じ、桜の時季の思い出が蘇り、逆に切なくなった。

それでも、桜の花や枝の隙間から注がれる

太陽の光は暖かく、心を落ち着かせた。

いつもは子供の声がうるさいほどの公園が

今日は何故かとても静かで とても穏やかだった。


来週にはシャワーの如く、散り始めるだろう。

それまで もう少し。 ゆっくり ゆっくり 楽しもう。


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色鮮やかに咲くチューリップ。

桜同様、春を感じる花。

小学校の入学式で、童謡のように赤白黄色と壇上に一列に並べられてたチューリップ。

それはそれは、強くて鮮やかな色だった。


冬の寒さをしのぐようにキュッと閉ざした蕾が、ほころび美しく咲き誇る春の花。

それは人も同じなのかもしれない。

厳しい時季を乗り越えて、その後の暖かさに触れた瞬間にほころび笑みが耐えなくなる。




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先日、バレエの発表会に出席する方たちのメイクをしました。

4時間半で総勢25名。その内、10名はキッズたち。


妖精がテーマの振り付けと衣装がめちゃめちゃ可愛いのです。

それでも、メイクは舞台で生えるように大人同様になので、みんなバッチリ濃い顔に。


初のバレエメイク。

使ってる化粧品から、メイクの仕方まで。

色んなところで、新しい発見が沢山あって、本当に勉強になりました。

そしてこんなにも沢山の人にメイクで喜んでもらえた1日が何よりの財産になり、

本当に幸せな1日でした。






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滋賀にあるカフェ兼ギャラリー。

学校独特のひんやりとした空気の中に色々なアーティストの作品が並ぶ。


応接室であったであろう、こまやかな細工のある天井のそれほど大きくない部屋。

窓が大きく取られており、そこからの景色を眺め楽しめるように置かれたベンチ。


白い壁に貼られた一つのメッセージ。


『余白をとりましょう』


余白をつくることは、ふとした時に現れた可能性を広げる場所であり、

広く大きく取ることで、心に余裕(ゆとり)を持つことができるという考え。


この場所は壁のほとんどが白で塗られており、展示されている作品も壁の余白とのバランスがよく、

白の空間そのものも作品の一部な感じさえする。



【余白】


それは色の話ではなく、時には時間であり、時には空間である。

余白を取ることで見出される可能性は他を引き立たせ、輝かせることもある。


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今日、ライブペイント+ライブを観に、携帯が繋がらないほどの山奥に行ってきました。

色んなジャンルのアーティストが参加していた『どらまつり』

感じるままに描いたり、演奏したりすることは、包み隠さず自分をさらけ出すことであり、

これこそ自分と向き合ってる時間なんだろうと思いました。

もしも自分がそうすることになったら?・・・・何もできないかもしれません。

でも、それこそがその時の自分であり、受け入れるべき現実なのだろうと思いました。




色々な情報を手に入れる。


魅力的な人。


詩的なアート。


懐古的な音楽。


利き目でしか見えない景色。



どれも上手く吸収できない時は、鮮明な傍観者になってる証拠。


当事者はいつも淡い。だからすぐに鮮明な傍観者に変身する。


鮮明な当事者に変身する方法。


それは、長い長い時間と温かく苦い珈琲と甘いチョコレート。


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もうすぐに迫った大学の卒業式。

今年は4人の女の子のネイルのお仕事をしました。


4人それぞれの個性が出るといいなっと思い、

どんなものにするかを色々と話をしながら決めていきました。


『頭の中のイメージをカタチに』

これが私の仕事の魅力。


明日がいよいよ引渡し。毎回、ドキドキする瞬間。

笑顔が見れますよーに。





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春になると生活に“新しい”を取り入れたくなります。


先日、お休みの日にちょっと遠出してオリジナル家具を扱い、

カフェを併設したお店に行ってきました。

古民家を改装し、温かみのあるオリジナル家具と優しく気さくな店員さんは

その空間に穏やかな時間の流れを作ってくれていました。

そこで出会った一つの小鉢。


買って帰って開けてみると、穏やかな空間からやってきたその小鉢は

ちょっと場違いな感じがするほど、カフェの柔らかい感じをそのままに運んできたアイテム。

時間に追われる今の私の日々の中にも穏やかさを含む柔らかさを生み出してくれそうです。


毎日風が強くて、都心では雪も降って、まだまだ寒い日が多いけど、

家や車の中は陽が差し込んポカポカで、外では花が咲き始めて、もう桜の季節。


今年の春は、いつもより少しゆっくり過ごせそうな予感。

色々と計画を立てて、アクティブに動いていこうと思います。


さて、何をしよう?



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最近、5歳まで暮らしていた町の景色を見たいと思うことがよくある。


今住んでいる町から30kmほど北にある町。

そこには楽しくて幸せな思い出しかない。 というか、それしか思い出せない。

幼すぎる私の世界は、小さなものだったから思い悩むようなこともなかったんだと思う。


隣に住む同じ年のさっちゃんと坊主頭の男の子とショートカットの女の子の小学生の兄妹。

平日はいつも幼稚園から帰ってくると一緒に、そして休日には両親と小さかった弟と一緒に

家の前の小さな公園で遊んでいた。


公園は土手のすぐ下にあって、小さなジャングルジムとブランコと砂場しかなく、中央に金柑の木があった。

西に沈む夕日がきれいに差し込む場所で、金柑の木を照らし、

その木の下に真っ黒な影を作っていたことを鮮明に覚えている。


茜色の景色。それは公園だけじゃなくて、家や近くにあった土手の芝。

そして両親や弟、近所の子達の顔の色だってそう。

色んなものがオレンジの強い光に照らされて、温かい色になっていた。


強いオレンジの光が眩しくて、目を細めながら見ていた夕日は温かくて、

それは同時にその頃の私の周りの人たちの印象と結びついている。

この場所に行けば、穏やかで温かい景色にまた触れられるような気がしている。

実際には公園はより小さくなり、いくつかのマンションが建ち、

この頃暮らしていた家は取り残されたようになってしまっていて、

あの頃のように穏やかで無邪気に幸せを感じられることはないだろうと思う。


だから、茜色の景色にする夕日は特別な感じがする。

温かくて、幸せを感じることができて安心する気がするから。


人は誰しもみたい景色や光景があると思う。

その為に仕事を頑張ったり、色々なことを我慢しなくちゃならなかったりする。

私にとってはそれが、夕日がきれいに見える茜色に染まる場所。


なんだかまとまらない今日のブログ・・・