ざわざわざわ、騒ぐ魂。 

ぶつぶつぶつぶつ、往生際の悪い恨み言。



「さぁ、着いたよ。この壁の先が罪人を収納している場だよ。妾の手を取って。じゃないと、壁に弾かれてしまうからね」

「は、はい…」

差し出された手を恐る恐る握る香坂 愛。その瞬間、彼女には分からぬ様に顔を顰める彼岸花。

【どうした?まぁたきったねぇ心の内やら過去が流れてきちまったのかぁ?】

「……そうさ。全く嫌になるねぇ」

【ひひひ!後で聴かせろ。そういうどろどろしたきったねぇ人間の話は大好物だ】

「輪廻のそういうところ、偶に羨ましくなるよ」

壁に呑み込まれ、罪人の魂を収納している牢獄に移動するまでの間、香坂 愛の手から流れ込んでくる彼女の過去に只々顔を顰める。

(嗚呼、嫌になるねぇ。他人の過去なんて気持ち悪いもの視えたところで、気分悪くなるだけだというのに)

足が地に着く感覚がしたところで、ぱっと手を離す。彼岸花と輪廻にとっては見慣れた景色だが、香坂 愛にとっては円形の本棚が果てしなく上に伸びている圧巻の場所。

「此処で待っているんだよ。此処から先は只の魂にとっては毒でしかないからね。それと本を読んではいけない。もし破ったら、入れ替わられてしまうからね?」

「分かりました……」

少々不貞腐れた様に返事を返す香坂 愛。それを微笑みながら眺める。

「それじゃあ、捜してくるからくれぐれも本に触らない様にね」

それだけ言うとくるりと背を向け一歩踏み出した途端、ふっと煙の様に姿が消えてしまった。
一瞬驚いた表情を見せた彼女だったが、すぐさま忌々しそうに表情を歪ませる。

「いつまで笑ってんのよ。こっちは殺されてるってのに」

彼岸花の浮かべる微笑みが彼女にとっては気に触るものだったのか、苛立たしげに爪を噛みながらその場をうろうろとしだす。

「そもそもなんで殺されなきゃなんないのよ。ちょっと遊んでやっただけで勘違いするあいつが悪いに決まってんじゃん」

うろうろとしながらぶつぶつと独り言を繰り返す。

「何よ入れ替わりって。こんなとこに閉じ込められた奴の何が怖いってのよ。何か見られたくないもんでもあんでしょ。見るな言われて素直に見ないやつがあるかっての」

にやりと意地悪く笑い何も書かれていない背表紙に触れた瞬間、背筋をぞわっと悪寒が走り抜ける感覚が襲う。

「こんなとこだから、ちょっと怖気付いてるだけよ」

見たことのない様な分厚い本を引き出し、そのまま読むには重過ぎる為、床に置き本を開く。
目次のページに書いてあるタイトルを見て、

「えっ…………」

タイトルは死んだ者の名前。しかもそれは、知っている名前。彼女が散々貢がせた挙句、捨てた者の名。
噂によれば、借金に追われて自殺したと聴いている。

「う、嘘……!止まってよ…!止まれっ!」

ページを捲る手が意思に関係なく捲り、いくら止めようとしても止まらない。死んだ者の人生が事細かく書いており、文字を追う目も止まらない。
いよいよ香坂 愛と出会い、彼女を喜ばせようと如何にして金を作ったか、彼女に捨てられた絶望、後に残されたのは借金だけ、自殺。

「……はぁっ!……はぁっ…ひゅー……あがっ…………いっ…がっ……」

さっきから息が苦しい。喉が痛い。ぎりぎりと紐の様な何かが食い込み、喉が灼けつく様に痛い。
動く左手で掻いても掻いても掻き毟っても、ぎりぎりぎりぎり、ぎりぎりと絞めつけられていく。
それでも捲る手と文字を追う目は止まらない。最後の百ページに差し掛かったところだった。三千八百九十九ページ目で本の主は首吊りで死に絶え、死に絶えたのだからその後のページなど必要ないと言うのに、まだ百ページもある。
流石の彼女も怯え始めるが、絞めつけれた喉からは声さえ満足に出せない。
三千九百ページ目を捲る。二ページに渡って大きく、許さないと、血で書き殴られていた。

「…………ひゅー…ひゅっ………あ……ぎ……」

絞めつける力は一向に緩まず、むしろ強まっていく。いっそ死ねたらどんなに楽だろうと思うが、死ねはしない。既にどちらも死んだ身なのだから。
ページを捲る手が加速する。

許さない、許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない

延々と百ページに渡り血のインクで許さないと書き殴られ、怨念の深さが窺い知れる。
最後の三千九百九十九ページと四千ページだった。

僕はお前を許さない、ずっと待ってたお前が僕を開くのを。お前の新しい人生を僕が貰ってやる。だからお前は僕の代わりに苦しんで消えろ。

突然本から手が伸び、香坂 愛の顔を鷲掴みにすると、本の中に引き摺り込みだした。必死で抵抗する彼女だが、抵抗虚しくずるずると本の中に引き摺り込まれていく。
余程強い力で掴まれているのか顔はひしゃげ、綺麗な黒髪が血で汚れていく。
その間にもどんどん身体は本の中に消え、最後まで抵抗していたがばたつく足が突如力を失い、そのまま一気に引き摺り込まれ、彼女は消えた。

残されたのは一冊の本と、その本から発せられる狂気染みた笑い声だけ。