ニュースが流れている。二件の自殺のニュースが。
一件目は高校生の苛めを苦にした自殺。二件目は詐欺の犯人が自殺。
最近は本当に自殺が多いな。生きることも辛いだろうが、死ぬことも楽じゃないのだから、皮肉だな。下手をしたら一番の苦痛を味わうのかも知れないのだから。
そして死んでしまえばそれまで。復讐するにしろ見返すにしろ、罪を認めないにしろ罪を贖うにしろ、それから先はないのだ。未来も過去も現在<今>もないのだ。
正に死人に口なし。何を言われようと、笑われようと貶されそうと、その死を笑われ喜ばれようと、最早何も出来ない上に言い返せないのだ。身体がないから。命がないから。死んでいるから。
嗚呼、遺された者は何を想い、何に悲しみ、何に耐え、何に傷つけられるのだろう。
何も自殺が悪だというつもりはない。生きようが死のうが、命の使い方は好きにしたらいいのだ。私の知るところではないし、私の命ではないのだから。
だが、死は本当に救いなのだろうか?私には死は、恐怖としか思えない。死とは絶対だ。もう二度と取り戻せないのだ。大切な者と想いを容赦なく奪っていくのだ。
生きることは後悔と諦めの連続で辛い。
死ぬことは簡単だ。腕を切るなり首を吊るなり水に入るなり薬を飲むなり、成功すれば簡単に、この世からおさらばだ。
誰なのだろう。死は救いなどと言ったのは。
所詮死さえも、個人宗教で救いにも絶望にもなるのだろう。
神というものがいるのなら、恐ろしく平等だ。
どんな幸せな生を送ろうと、どんな絶望を抱こうと、死だけは平等なのだ。
嗚呼、多くの人を騙して奪っておいて全てを置き去りにして、死に救いを求め逃げるなど、卑怯以外の何物でもないではないか。
嗚呼、今は辛くとも幸せが待っていたかも知れないのに、可能性さえも否定して。死後に世界があったとして、そこは救いかい?
願わくば、普通に生き普通に老い、もう少しだけ生きたいなと笑って死にたいものだ。