「子育てに終わりはない」 まさにその通り

我が子が何歳になろうと、心配はつきません。

 

今年52歳になった小生でさえ、同居している自分の母親は、毎日の様に

帰宅すると「早くご飯食べなさい」「もっと食べなさい」「早く寝なさい」…。

 

側には、妻もいれば、娘達もいる。こんな状況で正直、「もうええんちゃう?」

と思いますが、親(特に母親)にとっては、いつまでたっても子どもは子ども。昔のまんまなんですよね。

 

愛情をいっぱいに受けてニコニコ笑う言う、可愛い乳幼児期

何でも親の言う通りに従う保育園から学童期

口答え、反発反抗、抵抗して悩ませる小学校高学年から中学生期

親離れして振り向いてくれることも減ってしまう寂しい高校生期以降、

あっという間に、ライバルなフィアンセに息子娘を奪われて内心穏やかではない青年期以降、

孫が出来ても、自分たちの子どもは子ども、白髪交じりになっても子ども、

いつまでも昔のままの思いでいる?いたい?

親って(特に男の子の母親は典型)そういう生き物ですね。

他のアニマルと同様で本能的なんでしょう。

 

そんな親に、卒業なんて本当はないのかも知れません。

 

しかし、敢えて「親の卒業」について述べて見たいと思います。

 

最近も、幼児がご飯を食べさせてもらえず、餓死したり、親の虐待で保護されるたり、将来を悲観して道連れに……などなど痛ましいニュースがコンスタントに報道されます。

ここに色々な事情や思いがあるのでしょうから、それを分からない僕たちが、それを非難したり、鬼親やと簡単に非難することは少々はばかられます。

ただ、当の子ども達には、それを拒否することも出来ず、不本意なままの結果でしょうから、やはり痛々しいことは間違いありません。

 

「親は子どもが欲しいと、選ぶことはできます」

「でも、子どもは、親を選ぶことはできません」

 

ひどい親のことを非難する時に、よく使われるフレーズですね。

 

診療を通じて日々感じることは、虐待や育児放棄をしている親でも、その子どもにとっては「やっぱり親」なんですよね。

そんな子どもだけでなく、そんな親達をもが、家族や周囲の何らかの協力で上手くよく生きて行って欲しい、そう思います。

最近、虐待、ネグレクト、愛情欠乏、愛着障害、不安神経症、こんな事例が診療所でも多く相談に来られます。

 

親って、一体何をしてあげるべき立場?

どこまでしないといけないのか?

親でないとできない事とは一体どんなことなのか?

どうなったら、卒業?

 

ご飯を作る事? 家事を丁寧にする事?

叱りつけ、躾ける事? 褒める事?

一緒に悩んで、一緒に泣くこと?

子供が成人になったら、卒業?

 

勿論どれも大切でしょうが、

色々なケースを通して思うのは、究極一番大切なことを1つだけ選ぶとしたら、

 

「子供を精神的に支え、力になること」 これかなと思います。

 

最近の若いお母さん達を見ていると、全体にとっても優しいのですが、

子供が困った時に、子供さんへ「どうするの?」「どうしたいん?」

と問われていることがとっても多いですね。

「こうしなさい」「いやでも、そう頑張りなさい」 

リーダーシップや決定に対する力になってあげる肝心のところで子どもに丸投げや、しっかり言って聞かせられない

親子関係が多くなった様に思います。

なので、子供が何かに行き詰まった時に、親も一緒になって悩み込んでしまい、前にも後ろにも動けなくなってしまうことが多いですね。

正直、家庭内のこと、親の範囲内、こんな医療とは程遠いレベルで悩み、診療所へ相談に来られるケースが激増です。

 

「親力」(おやりょく)

 

個人的にこう呼んでいる、親の一番の中心的な強さみたいなものが、あやふやになって来ています。

 

一方で、本当にこの子は、この親を選んで生まれてきたに違いない!」と思える様な、

強くて優しい素敵な親御さんに出会うこともあります。

 

この春、長らく外来でお付き合いのあった脳性麻痺の男性が、いよいよ施設入所になりました。

とても重度の患者さんですが、親御さんの深い深い愛情を受けてこれまで在宅で頑張って来られました。

その姿勢は、他の同様の親御さん同様に愛情に溢れ、そして説明しにくいのですが、強さみたいなものを感じました。

その強い「親力」のおかげで、彼にとっても最高の安心できる家庭であり、そばで見ていても本当に感服するものでした。

 

もちろん何度も悩まれ、涙され、苦しんで出した結論が、施設入所だったのですから、心から応援したいと思います。

親にとって子供と共に暮らしていく、これが一番ふさわしいのかも知れませんが、色々な事情もあり、別れて別々で生活する様になる方も多くおられます。離れて暮らすことに罪悪感を感じられるのではないでしょうか。

 

親御さんのそのお気持ちある程度察することができるので、小生も同じ様な気持ちになって涙が出ました。

 

彼の他にも、この世をさってしまった患者さん、入所になって何年も経っている患者さん、いろんな方々とこれまでの長いお付き合いがありました。そしてそのそれぞれに同じ様なドラマがあったことと思います。

 

今回、前2回で、我が子のエピソード(1および2)を少し自己満足的に書いて見ましたが、

本来どの親にも、色々な形の卒業があり、段落、節目になるものです。

 

勿論、これで終わりという卒業ばかりでなく、一区切り、ちょっと休憩、今後は少し形を変えてと、

むしろ前向きな卒業はあっても良いですね。

 

世の中には、進学、就職、施設入所などなど、形は違えど、色々な「親の卒業」があります。

これまでのご苦労に対して、敬意を込めて一つの区切り目「卒業」という言葉を贈りたいと思います。

 

自らも含み、あらゆる親御さん達に、「本当にご苦労様でした」

 

今後は、本人の意向や希望、プライド、やりがい、快適さ、夢などなどいろんな展開もあろうかと思いますので、

形を変え、工夫しながら引き続き愛情を注いで行かないといけませんね。

 

世の中の、子供と親御さん、年齢や背景はいろいろです。

そんな多様な親子関係ですが、みんな通過点としての春です。

 

(日岡山公園の桜)

 

いよいよ桜も大きく開花してきました。

 

新たな一歩を踏み出しましょうね

 

さあ、明日から、新年度が始まります。

 

みんな、がんばろー

 

M.A.