コロナウイルスのせいで、世の中が一変してしまいました。

 

風邪の流行どころではなくなり、人の生活スタイルから、人間関係、はたまたその人の価値観や人生までもを左右するレベルになってきました。阪神淡路、東日本などの大震災の後にも経験した様な、閉塞的な雰囲気が世の中を覆っています。

 

保育園は登園自粛で園児は1桁レベル、学校は長らく休校で新学期、新年度が始まらず、それどころか一部では9月開始なんて、社会人も仕事は休業、外出さえ憚られる状況。”Cluster” ”Pandemic” なんてこどから老人までが皆が使い、”Stay home” “Social disntance”なんて、令和2年の流行語大賞候補が一杯。世のみんなが予想もしていなかった事態。ゴテゴテ感は大いにありますが、今は国を挙げての取り組み、自分だけでなく周りの人みんなの安心、安全、幸せのために、協力し合わないといけません。まさに人間力、忍耐、互助、いろんな日本語も必要です。マスクを始めとする物資の不足、買い占め行動、良心的とは言え物資を差し出し、異業種までもが非常時産業に進出、なんだか、挙国一致、違う意味で戦時のことを想像させる色合いです。

 

こんな非常時なので、仕方ないにしろ、人間の弱さ、脆さ、危うさ、などをいろいろ感じます。

 

“Social disntance”

 

言葉通り2m以上の距離と社会交流を断つことが求められています。流行蔓延を抑制するためにはとても必要で、有効なことは理解できますが、この言葉が本来意図するものとは”違うdisntance”をいろんな場面で感じ、寂しく不安な気持ちになります。

 

<社会のおかしな“disntance”>

レジ待ちの2m、人が近づくのを拒否する人の視線の冷たさ、お互いが信用してない様な空気、投げ置く様なレジの返金の様子、花粉症で鼻や咳をしている人を迷惑そうに睨みつける人たち、物理的な距離だけでなく、自己防衛的で自己中心的になっていく殺伐とした人間関係、相互不信など、ただでさえ、不安で閉塞的な世の風潮を加速させます。

 

社会、経済など多くの活動が頓挫してしまうことによる甚大なロスとともに、「ポストコロナ」の社会構造に不景気だけでなく、社会心理的に非可逆的な瘢痕を残す不安を感じるのは、私だけでしょうか?

 

日々のストレス、先行きの不安、いろんなストレスが、「くらやみまん」(アンパンに出てきます)の様に世を包んでいます。

 

やむない対策とは言え、多くの人にとってはかなりのストレス。必要だからとか、命には替えられないから、と理屈だけでは済まされない状況です。

 

<家庭の中での異常な“disntance”>

こどもが休みで毎日家に居る、母親も休業で家に居る、父親もテレワークで家に居て、毎日みんながずっと顔を合わせている、こんな状況はある様で普段はない状況ですね。

こどもたちは、臨時休業当初は、「ラッキー」「ゲームできる!」などと多くは好意的、しかしこれだけ長くなるとゲームもやり尽くした感じ、外にもオチオチ出れない状況となり、「退屈」「ヒマ」ストレス溜まってきました。宿題は出ているけど、自分で時間を決めてしたり、けじめをつけて(切り替えて)生活できるこどもはほんの一握り。エンド不明なダラダラ休みに、だらだら浸かっています。普段、学校ではスケジールという後押しがあって、それに従って生活しているこども達にとって、一番苦手な生活スタイルですね。休業明けに、みんな学校へ行けるのだろうか?不登校児が激増?とっても心配です。

 

それを、毎日目の前で見ている大人も、自分達も就労制限や外出自粛があったりで、ある意味、大人も外へ出ないことで気分転換にならず、イライラし、目の前でルーズなこども達の態度に腹を立てたり。診察に来られたお母さん方に尋ねると「私がストレスです!」「もう限界!」と一様におっしゃいます。

マスコミ報道で死亡例が強調されたり、感染者が細く詮索される様な報道やSNSなど、病気の怖さと自分が感染者となり吊し上げられるのではという恐怖とで、やはり外に出れませんよね。ますますストレスが溜まります。

 

テレビをつければ、どの局も、○○県では、新たな感染者が何人だの、死亡例が何人だの、専門家然とした出演者が、なかなか収束しないだろうとか、1年かかるとか、来年のオリンピックはありえないだの、不安を煽る報道ばかりで、マスクはない、消毒液もない、医療崩壊だの、同じことを延々繰り返し、どの局も何の特色も新しさもないくせに、わかった様なことばかり繰り返すコメンテーター達。院内感染、クラスターと一々騒ぎ立てる報道をいい加減やめた方がと願います。

報道の使命だの役割だの、国民目線だの、一人前の屁理屈ベースの報道ばかり。それを日々見ている一般の人々の不安を逆に煽っている、と言うことを考えたことがあるのでしょうか? コロナで亡くなった芸能人の遺骨が無言の帰宅、なんて報道、恐怖を煽る以外に何の意味があるのか、甚だ疑問です。

国民のうんざりやどんよりの一因は、病気そのものだけではなく、この報道にあるのではと思います。

 

その影響がすでにでています。

 

最近になって、「自分がコロナに罹って死んでしまうのではないか?」こんな不安で、情緒不安定になる子、怖くて寝れなくなる子、こんな相談がとっても増えています。「自身も不安」そして「時間を持て余して」テレビをつける大人達、今一度、こども達のためにも、ニュースを見ない様にすることをお勧めしています。

 

むしろ、せっかく時間ができたんだからと、少しだけ前向きに考えて、いつもはできないゆっくりとした時間で話したり、一緒に何かを作ってみる、お手伝いさせてみる、など、

出かけることではない、別の過ごし方を考えて見た方が良いのだとわかりますが、自分も含めて、いざ時間ができても、「何したらいいのかな?」的な感じですね。自分で過ごし方を考える、開拓する、現代人の弱点ですね。

ストレス発散のためにお出かけしていたのを、何に置き換えるか?大きな命題です。

 

とりあえず、小生と我が家は、花を植えたり、夜散歩をしたり、可能ならGW中に何かDIYしたいなあ、なんて思っています。人混みだけは避け、マスクなど防御して、ちょっと庭先や公園に出てみるのも、小さな気晴らしにならないかなと思います。

 

庭の木々や草花は、人間世界の暗闇とは裏腹に、いつも通りの春を迎え、いっぱいの花粉を撒き散らし、生き生きとしています。

 

ムスカリ:花言葉

「失意、失望、憂鬱」 一方で

「黙っていても通じ合う心、寛大な愛、明るい未来、夢にかける想い」

 

すなわち、失望憂鬱の後に明るい未来があります。

 

イチハツ:花言葉

火災や台風を防ぐ、知恵を出し合う、付き合い上手

みんなで頑張りましょう

 

我が家の娘の誕生で植樹したハナミズキが、今年もノビノビとそして可憐に花を咲かせています。

 

ハナミズキ:花言葉

私の想いを受けて止めて、永続性(英語)、公平に

 

<人の心の距離(disntance)>

 

コロナウイルスに不可抗力で感染してしまった人やそれと戦っている医療者とその家族などへの誹謗、中傷、差別があると聞きます。いつもなら、挨拶して話したり、手を取り合う関係から、排除し差別する関係に。人の心は、追い詰められると、いとも簡単に変貌するのかと、怖さを感じます。

 

ある番組で言われていた、四国松山の大学発の「シトラスリボン運動」。

コロナウイルスに関する誹謗中傷や偏見をなくすプロジェクトです。

 

 

“憎むべきは、人ではなく、ウイルス“

 

まさに、世の中が「くらやみまん」に支配されそうな今に警鐘を鳴らし、心まで蝕まれることはないように、そして人間愛を忘れてはいけないこと、を気づかせてくれる運動です。

 

「そう、誰も悪くないのです」

「優しく善意ある国民性のニッポン人、今一度考え直しましょう」

 

 小生が仕事柄お付き合いのある患者さんには、発達障がいのこどもも多いのですが、彼らの特性として言葉でメッセージを伝えたり、言葉でのコミュニケーション(挨拶など)が苦手です。そんな彼らにとってわかりやすいコミュニケーションに、ハイタッチがあります。また、彼らは人との距離(まさにdistance)を取るのが難しいので、タッチはわかりやすい”distance”です。

従って今回のコロナ騒動で、診察場面でも後述する防護対策をしている関係で、タッチしたくてもできないことが多く、こどもが戸惑っています。これで彼らが不安定になったり、今後、小生との関係が振り出しに戻ったりしたら、まさに、”distance”の弊害です。

 

 握手やボディータッチで伝わる人の温かさは、言葉以上の力を発揮することを信じて、小さな子供から、障害のある学生さんや、寝たきりの成人の患者さんまで、握手がとっても好きな僕としては、何だか物足りなく寂しい診療になっています。早く元に戻りたいです。

 

我が家の長男(犬)のはじめ君もボディータッチが大好きです。人も動物も同じですね。

 

 

その他にも、社会全体が制限自粛一色で、インターハイ、甲子園を始め、受験生などもロス状態や先行きの不安がいっぱいでしょう。

 

気持ちを切り替えるのは簡単ではありませんが、ちょっとしたアクションを起こしてみましょう。

 ・ニュースは余り見ないで

 ・手や体を動かしてみましょう(体操でも散歩でも) 春は来ています。

 ・家族と笑ってみましょう

 ・そして社会を応援しましょう

 ・人を信じましょう

 ・安心できる人と手を繋ぎましょう

 ・知恵を出し合って頑張りましょう

 (アンパーンチ→打倒くらやみまん)

 

最後に、

子どもが休みになって他の病気も流行しませんので小児科診療所はとっても静かです。都会でコロナと戦う医療者には申し訳ないくらいです。ただし、コロナはいつどのような形で出会うかもしれないので、写真の様にできる限りの防護、防御対策を行っています(あくまで予防です)

患者さんには、厳重な問診チェックをお願いしており面倒な作業でご迷惑をおかけしています。でも、安心、安全の医療を維持するために気を抜かずに頑張ります。もし心理的に不安定な状況あれば相談してください。コロナ不安に対する心理カウンセリングも提供しますね。

 

みんなで頑張りましょう!

 

M.A.